新宿の損保ジャパン日本興亜美術館に行ってきた。 現在 ターナー 風景の詩 を開催中。
展示はタイトルの通り、ターナーの作品だけ。 海外の有名どころが看板だと、看板画家の作品はほんの数点で、残りは影響を受けた或いは与えた同時代の他の画家や後続の画家の作品がほとんどなんてことがよくあるのだが、今回は本当にターナーだけだった。 ターナーは集めやすいのだろうか。
ターナーの作品はこれまでちらほら見かけたことがあって、その印象から何となく油彩画家だと思っていたのだが、今日展示されていたのは水彩画と版画がほとんどだった。 油彩は少しだけ。 水彩画と、その水彩画を元にした版画が並べて展示されているのもあった。 このパターンはだいたい版画の方が良い感じだったな。
画題がまたタイトルの通り、風景画だけ。 草原。 遠い山。 渓谷。 海。 およそ風景画で描かれる風景はだいたい描かれていた。
ちょっと面白かったのは、陸と海との雰囲気が逆なこと。
草原や山は穏やかに描かれたものが多い。 穏やかな日差し。 遠くに霞む建物。 そんな風景の中に描かれる動物も人もなんだかのんびりして見える。 これに対して、海は基本的に荒れている。 荒れた海に、強い風に傾く帆船や波に翻弄される小舟が描かれている。 描かれている人が小さくて表情は見えないが、必死であることは伝わってくる。 この違いはなんだろう。
風景の中にちょいちょい描かれている動物や人は、良い雰囲気ではあるのだが、よく見ると微妙。 遠くの建物や木々と比べると、動物は一段落ちる感じ。 雰囲気を出すための小道具的な扱いに見える。 人はそこからさらに一段落ちる。 省略して描いてるからってのもあるだろうが、今日見た範囲では平たい顔族ばかり。 イギリスの風景のはずだが、見た感じ、アングロサクソンはいない。
まあ、原寸大の大きな絵に近付いて見るからこその感想で、ちょっと離れて見ればそんなことは気にならないんだけどさ。
風景画家としての技術は、今日見た感じでは10代でもう完成されていた。 展示の冒頭が17歳の時の作品だったのだが、これが既に完成形。 逆に言うとその後に成長してないってことなのだが、その後の成長が必要とは思えない完成度なので問題無いだろう。 まあ本人的には、自分の殻を破れない的な悩みがあったのかもしれないが。
展示の終盤は、挿絵っぽい小さなものばかり。 これはこれで良いのだが、せっかくの展覧会なのだから、大きさの効果が実感できるような大きな絵を展示してほしかったな。
版画ももちろん風景画が中心。 遠景の繊細さは素晴らしいのだが、近景の動物や人の輪郭線が濃いのが気になることがあった。 意図したものなのだろうか。 しかし版画集で 「最高の出来」 とあった作品には、そうしたアンバランスさはなかったんだよな。 たまたま残っているものの印刷が良くなかったのだろうか。
そうそう、ターナーも吉田博同様に、版画制作の現場に張り付いて厳しい注文をつけたのだそうだ。 作品を見ていると、いろいろ口を出したくなる気持ちがちょっと判る気がするよ。
美術館の窓から見るモード学園のビル。 脳天に何かが刺さっているかのような薄い線が見える。 ホラー映画なら、これは何かが落ちてきて刺さることの予告だったりするのだが、現実はたぶん窓ガラスの継ぎ目。