2000 06 30

働く母親に対する理解の3

久しぶりに同期と呑んだ。 俺以外の3人は皆、結婚して、子供がいて、口を揃えて言う。

子育てと外の仕事とどっちが大変かと言えば、それは間違いなく子育てだ。 外の仕事は、それはそれで大変なのだが、割と短期的に成果が目に見える形になって、自分が何をやってきたかを実感できる。 対して育児は、コミュニケーションがほとんど出来ない。 成果は10年ぐらい経たないと実感できないし、ひょっとしたら間違っていたかもしれないという不安はずっとついて回る。 苦労しても報われないという思いは、育児の方が圧倒的だろう。 さらに言えば、仕事なんてのは、どれだけ大変でも、これまでの経験からどのぐらい大変かぐらいの見当はつく。 育児は、たいていの場合が全く未知の世界だ。 男共もそれは判っていて、だから実際に 「じゃあ替わろう」 とは言わないのだろう。 「同じだけ稼げるのか?」 とは、 「同じように育児が出来るのか?」 と、全く同じことなのだから。

だったら子供なんか作るなよ

と、子供はもちろん、結婚すらする気の無い俺は思うんだけどね。 ちなみに、こいつらは皆、奥さんは専業主婦。

ところで、働くお母さん。 どうすればいいかを考えてみる。

育児期間中だけのサポート人員を採用し、作業を分担させる。 で、分担を減らしただけ勤務時間も減らし、例えばその期間は8時から3時までを定時とする。 ワークシェアリングってやつだ。 親の収入は若干減るが、その分子供に手がかけられるようになるし、そういう規則だとなれば、早く帰るからと肩身の狭い思いをすることもないだろう。 また、そのような制度を採る企業には、国なり自治体なりからそれ相当の補助金を出す。 と、真っ先に思いつくのが、こんなところ。

次に思いつくのが、余っている人を使うこと。 余っている人、即ち、老人やリストラされた失業者。 これからもどんどん増えるであろう人達を、有効利用する。 まずは、この人達の働ける度に応じて、年金や失業保険の給付をぐっと減らす。 で、育児補助の企業なり施設なりを作り、この人達を雇う。 減らした分は、ここで働きに応じて支払うものとする。 育児期間中の家庭に、この人達を派遣し、育児のサポート。 訪問ヘルパーの子供版だな。 サポートメニューが何段階かあって、各家庭は、その状況に応じたサポートを選択する。 サポート度1なら、保育園の送り迎えと通院、月に1回休日丸々子供を預かるとか。 で、サポートを受ける側のほうは、育児保険なんかで普段から積みたてておき、実費の1割を自己負担とか。 働くお母さんも、これなら残業できるだろう。

そんなところかな。 俺は、払っている税金以上に他人の子育てに協力する気は無い。 しかし、消費税をもっと上げて、それを育児補助の財源に充てても、文句は言わないぞ。 ちょっとしか。