退職日に見るフランス絵画
就職したのが1992年。 バブル末期の、まだギリギリ売り手市場の頃だった。 学生時代の友人から 「多分あいつが最初に辞める」 と言われていた俺が、なんだかんだで勤続27年。 大変な時もあったけど、平均して見れば気楽だったな。 俺が気楽な分、きっと誰かが辛い思いをしたんだろうけどさ。
そんな長い付き合いの会社とも今日でお別れ。 明日からは別の会社で働くことになる。 まあ別の会社といっても10年来の常駐先で、変わるのは自分の看板だけだったりするのだが。 ああ、席もちょっと位置が変わるのかな。 やることはほぼ同じ。 顔を合わせる人も。
ということで朝は久し振りに会社に行って退職の挨拶をし、午後は富士美術館に行ってきた。
フランス絵画の精華 - 大様式の形成と変容 を開催中の富士美術館。 これまでにも行ってみたいと思う展覧会はあったのだが、八王子駅からバスで約10分という微妙な不便さに足が向かず、行くのは今日が初めて。 しかし実際に行ってみれば、思ったよりもずっと近かった。 バスが来るまでの待ち時間は長かったが、これはタイミングの問題だし。 というか、電車とバスを合わせても、上野に行くより全然近いんだよな。
館内は思ったよりも人がいた。 人気の絵の前ではちょっと待たされる状態。 平日の山奥だし、もっとスカスカだと思っていたのだが。 俺の中の認知度と世間の認知度には、結構な開きがあるのかもしれない。
展示内容はタイトルの通り、フランス絵画の移り変わりを時代に沿って示すもの。
- 大様式の形成、17世紀 : ブッサン、ル・ブラン、王立美術アカデミー
- ヴァトーとロココ美術 - 新しい様式の創出と感情の表現
- ナポレオンの遺産 - 伝統への挑戦と近代美術の創出
- デッサン
絵画史的には、風景画が風景画として独立を始めた頃から印象派の前までぐらいか。
前半は微妙。 あまり響かない。 人物画や宗教画は劣化イタリア、風景画は劣化オランダという感じだった。
中盤のロココあたりからフランスらしさみたいなのが出てくるが、技量的には今一つ。 時代でも国でもなく画家個人の問題なのだろうが、デッサンの粗ばかりが目につく。 特に女の顔は、最近の写真アプリによくある可愛い加工されたようなものばかり。 そういうのが流行りで、お抱え絵師はそう描かざるを得なかったのだろうが、これはなぁ…。
新古典主義の後半からぐっと良くなってきたように見えるが、これまた単に個人の技量の違いなのかもしれない。 自画像がやたら良い感じで、自画像をこうも綺麗に描く画家は信用できないと思ったが、他人の肖像も同じような表情だった。 あの自画像はパンフレットだったのかもしれないな。 「こんな俺でもここまで綺麗に!」 みたいな。
終盤は、現代目線でも程良い美女多数。 やっぱりフランスはこうでなくては。
以下、印象に残った作品。
- 煙草を吸う男
-
あまり響かないと評した前半に展示されていた作品だが、これは例外。 カラバッジョ的な光と影の表現が良い。
- 豊穣な恵み
-
裕福さは感じられないが幸せそうな家族。 これを描いた画家にとっては、その当時の現代版聖母子像なのかもしれない。
- カンピドリオの丘の空想的景観
-
廃墟絵。 光が少々不自然だが、空想的景観にそんなことを言うのは野暮ってものだろう。
- ジェルマンがいないあいだ気を紛らわすリゴレット
-
こんなリゴレットが待っているのだ。 俺がジェルマンなら毎日早く帰る。
- 失楽園
-
楽園を追放されるイブの肌が、いかにも苦労知らずな感じ。 それが今後の苦労の暗示でもあるのだろう。
これ、今のセキュリティ意識なら、手が届くところに林檎を置いていた方にも問題有りってなるよな。 だから食べた方が免罪されるなんてことにはならないのだが。
- ウェヌスの化粧
-
ちょっとフランスに行ってくる。
写真撮影可のコーナーからは写真で2点。

- ポリニャック公爵夫人、ガブリエル・ヨランド・クロード・マルチーヌ・ド・ポラストロン
-
名前が長い。
写真のように小さくなると良さが伝わらないが、実物大は瑞々しくて良い感じ。 唇がちょっとエロい。
しかし、何だろうね。 無理矢理に目を大きくした肖像画を続けて見た後にこれを見たせいか、なんかこう化粧が上手くなっただけのように思えてしまう。 当時は珍しかった女流画家の作品だという解説を読んで、その思いがまた強く…。

- 休息
-
女の子の描かれ方がフランスっぽい。
タイトルは休息だが、タイトル程に休息感が無いのは、猫が小鳥を狙っているように見えるからだろうか。
帰りはあまり待たずにバスに乗れて、もっと待たずに電車に乗れた。
明日からまた仕事。 頑張ろう。 程々に。