1998 12 31

逝く年

せっかくだから、今年を振り返ってみたのだが、特になし。 その時々で、いろいろ思うこと感じることが、確かにあった。 しかし、 「今」 じゃなくなるとどんどん収束して、どうでもいい日常の路傍の石のような思い出になるのだな。

こうして並べてみるとずいぶんと違うものだ。 そんなことを考えていたら、ガムと一緒に唇を噛んでしまった。 不意を突かれたので(自分で自分の不意を突くとは如何に?)、めちゃくちゃ痛い。 涙目になる。 思い出も吹っ飛ぶ。 そして悟るのだ。 俺は 「今」 を生きている ということを。 だから、噛んで。

生も死も、共通のイメージとしてはあるのだが、それを数値化することが出来ていない。 はっきりしていて、かつ、あいまいであるところから、いろんなものにその概念が適用されるのだな。 というのは、WebSite の死についてなんだけど。

特定のテレビドラマや映画を扱ったものなら、その番組や映画が終わって熱が冷めたときが、寿命であろう。 そこが死だ。 その後も続いていたとしても、まあ墓石のようなものだ。 特定の芸能人やスポーツ選手を扱ったものも、同じく、寿命がつきて死ぬ。 クラッシュして、データが無くなってしまったような場合が、事故死。 著作権違反とか誹謗中傷とかで、プロバイダーから削除されたなんてのは、死刑執行。 クラックされて、データが消されるような場合が、他殺。 運営している本人が、何らかの事情で止めてしまったら、自殺。 と、列記してみたのだが、何か違うような気がする。

こういう言い方は間違ってないような気がする。