せっかくだから、今年を振り返ってみたのだが、特になし。 その時々で、いろいろ思うこと感じることが、確かにあった。 しかし、 「今」 じゃなくなるとどんどん収束して、どうでもいい日常の路傍の石のような思い出になるのだな。
こうして並べてみるとずいぶんと違うものだ。 そんなことを考えていたら、ガムと一緒に唇を噛んでしまった。 不意を突かれたので(自分で自分の不意を突くとは如何に?)、めちゃくちゃ痛い。 涙目になる。 思い出も吹っ飛ぶ。 そして悟るのだ。 俺は 「今」 を生きている ということを。 だから、噛んで。
生も死も、共通のイメージとしてはあるのだが、それを数値化することが出来ていない。 はっきりしていて、かつ、あいまいであるところから、いろんなものにその概念が適用されるのだな。 というのは、WebSite の死についてなんだけど。
特定のテレビドラマや映画を扱ったものなら、その番組や映画が終わって熱が冷めたときが、寿命であろう。 そこが死だ。 その後も続いていたとしても、まあ墓石のようなものだ。 特定の芸能人やスポーツ選手を扱ったものも、同じく、寿命がつきて死ぬ。 クラッシュして、データが無くなってしまったような場合が、事故死。 著作権違反とか誹謗中傷とかで、プロバイダーから削除されたなんてのは、死刑執行。 クラックされて、データが消されるような場合が、他殺。 運営している本人が、何らかの事情で止めてしまったら、自殺。 と、列記してみたのだが、何か違うような気がする。
こういう言い方は間違ってないような気がする。