1998 06 06

本当に間違いなのか

NHKスペシャル 「キトラ・地中に眠る天文図の謎」 を見ていた。 キトラ古墳にカメラを入れて発見された、天井の天文図。 あの天文図が、いつ頃どこで観測されたものか、どういうルートで伝来したものか。 それを、天文学から古代史を考える人が、いろいろ分析するのだが、それを見てて、 「果たしてこれでいいのだろうか?」 という疑問が起きた。 天文図の分析で鍵になるのは、

星座の形
中国と朝鮮とでは、微妙に星の結び方などの形が違うので、どちらに似てるかで、伝来経路が推定できる。 キトラ古墳のものは、現存する中国・朝鮮どちらとも特定できないものだった。
星座の範囲
1年中見えるもの(内規)、季節によって見えるもの(外規)で、観測地のおよその緯度が判る。
黄道の位置
観測されたおよその年代が判る。 キトラ古墳のものは、 紀元前 2500 年頃 となる。

黄道の位置がおかしいということになった。 B.C.2500年頃には、こんな天文図を作る技術はない。 黄道の位置を左右逆にすると、B.C.300〜A.D.300になるので、天文図を作るとき、下絵からの写し間違いだろうということにして、作成された年代は B.C.300〜A.D.300 としていた。

そんなに簡単に間違いにしてしまっていいのだろうか?

古墳の壁画を描くとき、当時の人はちゃんと確認しながら作業を進めたのではないか。 壁画にするくらいなんだから。 それに、間違っていたとすると、黄道の位置を間違えるぐらいだから、その他の部分から観測地の緯度や伝来経路を推定しても、その信頼性は低いのではないか。

俺が問題だと思うのは、古代史の常識的な考えから、一歩も抜け出せていないことだ。 あやふやでよくわからないことが多いからこそ、いろんな可能性を考えてみる必要があるのに、学会の通説や、歴史は進歩するものだという考えにとらわれて、勝手に枠組みを作っている。 目の前にある現実に対して、自分の枠組みに都合のいいものだけを正しいものとして扱い、都合の悪いものは間違いだとして、よく考えもせず切り捨ててしまう。 間違いというのも確かに一つの可能性だが、いきなりそこに行ってしまうのは、学者として怠慢でしかない。

B.C.2500 頃に、天文図を作る技術がなかったと言い切る根拠は何なのか? この天文図が発見されたことが、その技術があったことの証明にはならないのか? 現存する他の天文図と違っていることが、作成年代の違いを示唆しているのではないか?

そうそう、写真の天文図の実物大を再現してたのだが、その手段がなんともね。 玄室の実物大模型を用意してカメラの位置を再現し、その画像と撮った写真とをモニターで重ねる。 で、一人がモニターを見ながら 「もうちょっと右」 なんて指示し、もう一人が模型の天井にピンを指して位置決めしてた。 画面の絵をタブレット上に再現するって感じ。 ローテクだよな。 ハイテクな道具使ってるくせに、使い方がなっちゃいない。 カメラと玄室の位置関係も、撮影した画像データも、コンピューターにもってるのに、何でそこで変換しないのか。 そんなの、俺のPCでも簡単にできるぞ。 何か、そうしなきゃいけない理由があるのか? 頭悪いのか?