1998 06 21

質問

朝、サンデープロジェクトを見ていた。 自民党の加藤、民主党の菅、共産党の志位が、金融を中心とした経済対策について討論するというもの。 その再建には、思い切ったリストラであるとか、破綻すべきは破綻させるとか。

午後、ザ・ノンフィクションを見ていた。 山一証券でエリート社員だった人達。 未だに職が見つからない人とか、清掃会社に再就職した人とか、他の証券会社で収入が10倍になった人とか。

「改革には痛みを伴う」 ということになっているらしい。 「大きな目的のためには、多少の犠牲はやむを得ない」 という考え方は、 「一人一人を救えないのに、大きな目的が達成できるはずがない」 という考え方よりも、現実的で即効性のある場合が多い。 しかし、誰かの無責任のしわ寄せとして、 「多少の犠牲」 にされてしまうのは、あまりにも報われない話ではある。

学生の時、塾講師をしていた。 授業中にふと思いついて、次のような質問を、中2(中3だったかもしれない)の生徒にしてみたことがある。

今まさに、2隻の船AとBが沈もうとしている。 あなたは、片方の船の乗員だけを助けることができる。 船Aには、あなたの一番大事な人が一人だけ乗っている。 親兄弟でも恋人でもいいから、今現在で一番大事な人だ。 船Bには、100人が乗っているが、そのほとんどは知らない人だ。

さて、あなたはどちらを助けるか?

ほとんどがB、数人がA、数人が判らない、という答えだった。 もう一つ、条件を追加してみた。

さっきと同じ状況だが、あなたは無人島にいる。 助けた人と、しばらくはそこで暮らすことになる。 さて、あなたはどちらを助けるか?

どっちにしようか迷っているうちに両方沈没ってのが最悪のパターンだから、無理矢理どっちかに決めるように注意しておいて、さあどっち? と聞いた結果、Aが一人、残りは全員がBだった。

いい大人がどう答えるかが、興味のあるところ。 どちらを助けるか、簡潔な理由とともに示せ。