1998 08 09

相対性理論

サンデープロジェクトを見た後、洗濯しようと立ち上がって、立ち眩み。 しゃがみ込んだのだが、それでも銀色の蛍が乱れ飛んでいて、眩んでいる状態。 立ってもしゃがんでも眩んでいるのに 「立ち眩み」 というのは、そのきっかけが立つことだったからだな。 などとくだらないことを考えながら立ち上がったときに、天啓を受けた。

何でもいいのだが、何かが変化することで、時間が流れていることを認識する。 何かの変化が、時間の流れだと言ってもいい。 何も無いところでは、時間は流れない。 というか、時間が意味を持たないわけだ。

これが、神様の仕事だ。 が、実は、神様の演算能力にも限界がある。 何かの移動速度が速くなればなるほど、次の状態を急いで決めなければならないのだが、神様の処理速度の上限により、ある速度以上を出すことができない。 これが、 光速の限界 だ。 速度が光速に近くなればなるほど、神様は、そのものの移動に処理能力を食われて、そのものの内部の変化の計算がおろそかになり、なかなか次の状態への変化が起こらない。 こうして、 光速に近くなるほど、時間の進み方は遅くなる。 ものが少ないところでは計算すべきものが少ないからいいが、密度がものすごく高いと、計算も大変なので、一つ一つのものの状態決定がなかなか進まない。 つまり、 重力が大きいほど、時間の進み方は遅くなる。

そういうことだったのだ。

妙に嬉しくなって、急に米を研ぎたくなって、これはおかずも必要だということになって、買い物に行く。 久しぶりの自炊で、炊き立ての味に満足し、そのまま昼寝。 洗濯の途中だったことを思い出したのが、夜の8時頃。 洗濯機から取り出した、しわくちゃで生乾きのカッターシャツが無惨。