八王子の本屋で、なかなか降りてこないエレベーターを待っていたときのことだ。 店員男が、レジの脇で本の整理をしていた店員女の袖をちょいと引いて、店の外に連れ出した。 二人とも、バイトの高校生風。 店員男はポケットから何か取り出して、店員女に手渡してた。 「えっ、いいの? ほんと? ありがとう!」 と、店員女が嬉しそうな声を上げて、にこにこしながらレジに戻ってきた。 「やったぁ! 春が来たぁ!」 他の店員女に向かってガッツポーズを見せたりして、心の底から嬉しそうだった。 店員女の尋常でない喜びように、店員男が何を渡したのかが、ものすごく気になる。 いったい、何だったんだろう?
八王子駅前で、高校生が募金活動をしていた。 癌による遺児への募金だったと思う。 休日だというのに制服を着ていたのは、どうも学校行事としてやっていたかららしい。 駅前を2回通過したのだが、その間に募金していた人は、子供連れの若いお父さんだけだった。 テレビで連日報道されるような大災害であれば、可哀想な人が見える。 だから、可哀想だという気持ちが湧いてきて、募金も集まるだろう。 しかし今日のような街頭募金では、可哀想な人が見えない。 あの子たちは、今日一日使って、いったいどれほどの金額を集めることができたのだろうか。
実は、ものすごく効率的に募金を集める方法がある。
援助交際。
一緒にカラオケ1時間で1万円。 オプションで、パンツ見せて2万円とか。 健全(?)な範囲でね。 女子高生相手だと、そんな金を払うおやじって結構いるらしい。 が、やはりそこには、後ろめたさや体面があるだろう。 なかなか踏み込めないおやじたちの、潜在的な需要というものはもっと大きいはずだ。 そこで、大義名分を与えてやるのだよ。 可哀想な人たちへの援助なんだって。 募金なんだって。 そーゆーのを前面に出すことで、言い訳ができるから、ばんばんやってくるだろう。 一日街頭で叫んでいるよりも、楽してたくさん集金できるぞ、きっと。
ま、それでも俺は募金しないけど。
天気が良かったので、平山城址公園駅で電車を降りて、川沿いを歩いて帰った。 ふと見上げると、透き通るような月があった。 振り返ると、橙色の大きな夕日があった。 現実感が薄くて、いい感じだった。
明日は9時に川崎だよ。