1998 11 01

本当の援助交際

八王子の本屋で、なかなか降りてこないエレベーターを待っていたときのことだ。 店員男が、レジの脇で本の整理をしていた店員女の袖をちょいと引いて、店の外に連れ出した。 二人とも、バイトの高校生風。 店員男はポケットから何か取り出して、店員女に手渡してた。 「えっ、いいの? ほんと? ありがとう!」 と、店員女が嬉しそうな声を上げて、にこにこしながらレジに戻ってきた。 「やったぁ! 春が来たぁ!」 他の店員女に向かってガッツポーズを見せたりして、心の底から嬉しそうだった。 店員女の尋常でない喜びように、店員男が何を渡したのかが、ものすごく気になる。 いったい、何だったんだろう?

八王子駅前で、高校生が募金活動をしていた。 癌による遺児への募金だったと思う。 休日だというのに制服を着ていたのは、どうも学校行事としてやっていたかららしい。 駅前を2回通過したのだが、その間に募金していた人は、子供連れの若いお父さんだけだった。 テレビで連日報道されるような大災害であれば、可哀想な人が見える。 だから、可哀想だという気持ちが湧いてきて、募金も集まるだろう。 しかし今日のような街頭募金では、可哀想な人が見えない。 あの子たちは、今日一日使って、いったいどれほどの金額を集めることができたのだろうか。

実は、ものすごく効率的に募金を集める方法がある。

援助交際。

一緒にカラオケ1時間で1万円。 オプションで、パンツ見せて2万円とか。 健全(?)な範囲でね。 女子高生相手だと、そんな金を払うおやじって結構いるらしい。 が、やはりそこには、後ろめたさや体面があるだろう。 なかなか踏み込めないおやじたちの、潜在的な需要というものはもっと大きいはずだ。 そこで、大義名分を与えてやるのだよ。 可哀想な人たちへの援助なんだって。 募金なんだって。 そーゆーのを前面に出すことで、言い訳ができるから、ばんばんやってくるだろう。 一日街頭で叫んでいるよりも、楽してたくさん集金できるぞ、きっと。

ま、それでも俺は募金しないけど。

天気が良かったので、平山城址公園駅で電車を降りて、川沿いを歩いて帰った。 ふと見上げると、透き通るような月があった。 振り返ると、橙色の大きな夕日があった。 現実感が薄くて、いい感じだった。

明日は9時に川崎だよ。