1998 11 28

情け無い悲劇

オリックスのスカウトマンが死んだ。 自殺ということになっている。 今朝のテレビで、スポーツライターという肩書きの人(名前を忘れた)が、 「彼はドラフトという制度の犠牲者だ」 と言っていた。 ドラフトを続けていくと、いつか大変なことが起きると、ずっと思っていたのだそうだ。

自殺したスカウト氏と、このスポーツライター氏がごく親しい間柄で、以前からドラフトについて、またそれに関わっていることについて、いろいろ悩んでいたことをよく知っていたとか、相談を受けていたとかなら、まだこんなコメントも許せる。 が、どうやらそうではないらしい。 ならば、スポーツライター氏のやっていることは、 他人の自殺の理由を都合よく決めつけて持論の主張に利用 しているだけではないか。 それは、ものすごく下品なことなのではないか。

ドラフト制度には確かに問題があると思うが、その文脈でこの自殺を考えるのは違うと思う。 いや、そもそも自殺の意味を解釈しようとするのが間違っている。 自殺には意義も価値もない。 自殺をするのは、単純に弱いからだ。 家族・ドラフトで交渉権を獲得した選手・会社、どれ一つを考えても、今このときに自殺すべきでないと判るはずだ。 にもかかわらず、(そのときのスカウト氏が手っ取り早く楽になると考えたのだろう)自殺という手段で何もかも投げ出してしまうその弱さこそ、責めるべきなのだ。 強いて言えば、その弱さに気付かずに負荷をかけ続けた会社も、責任を感じなければならないかもしれないが。 スカウトがうまくいかないぐらいで自殺するなら、この不景気の世の中、働いている人間の半分ぐらいが自殺だよ。