1998 12 20

中身はない

聞いた話

酔っ払いが、電車を降りようとして転んで、ちょうど閉まるところだったドアに挟まってしまった。 万歳状態で、上半身がドアの外、下半身がドアの中。 電車の外の人と中の人とが、それぞれ自分の方に引っ張って、どうにもならない。 引っ張られている酔っ払いは、 「うぅー」 と呻いていた。

「それ、仰向けだったの?」

「なんで?」

「いや、もしそのまま動き出したらさ、とりあえず体浮かすだろ?」

「うん」

「俯せだったらさ、背筋使って海老反りだよ、海老反り。 すっげー辛くないか、それ」

「…」

「途中で休んで、次の駅のホームに来たらあわててまた海老反りでさ。 くくく」

「おまえなぁ」

「それで、開いたのが反対側のドアで、反りも萎え萎えだったりして。 うははは」

なんて、脳天気に笑っていたのだが、その後、そのイメージが頭にこびりついて、1人になってからも電車の中でニヤニヤ笑いが止まらなくて、危ない人になっていた。 そーゆーときの笑顔に、スマイルって言葉はきっと似合わない。

電車の中、俺の隣にいたおばちゃんの携帯に電話がかかってきた。 おばちゃん、 「はいはい」 とか 「そうそう、電車電車」 とか、短い単語はきっちり二回繰り返していた。

電車やバスの中で携帯を使うのは、他の客の迷惑になるということになっている。 確かに気に障ることが多い。 何故か?

それは、入ってくる情報が不完全だからではないか。 何気なく聞き流しているような場合でも、実際には無意識に入力情報の処理がなされている。 会話している一方の話しか聞こえてこない場合、相手方の話を想像することで補完しようとして、疲れてしまうからではないかと思うのだ。 ヘッドフォンから漏れてくる音やひそひそ声にも、同じことが言える。 が、携帯電話の場合はまず着信音が鳴るため、よけいに周りの人の注意が引きつけられ、否応なく補完処理をさせられてしまうわけだ。 携帯電話よりも大声で話している方がうるさいと感じる人は、この無意識の補完処理が行われいていないのだろう。 情報として捉えるレベルが低いのだ。 極論すれば、知能が低いのだ。 耳に入ってくる音を、多角的に処理しようとする知能があるからこそ、携帯電話の話し声が気になるのだな。

音声情報だけではない。 視覚情報にも同じことが言える。 つまり、 ミニスカートが気になるのは知能が高い ということだ。

部分的にしか情報がないために、欠けた部分を補完しようとする。 さらに、その補完処理で出した結果が正しいかどうか、実際に自分の目で確かめてみたいと思う。 その態度は、むしろ科学的であるとさえ言えよう。