1999 01 29

夜伽話

去年のことだが、Snow White というビデオを見た。 白雪姫のリメイク。 ホラー映画のコーナーにおいてあったのだが、ホラーとして見るとつまらない。 ちっとも怖くない。 その舞台での日常(つまり怖くないところを)をきっちり構成しないと、怖さを感じさせるところが生きてこないと思うのだが、どうも雑なのだ。 ホラーとしてではなく、 「本当は残酷な童話」 シリーズの一つとして見るべきなのだろう。 王妃(魔法使い)は可哀相だった。 白雪姫にはむかついた。

本屋には今も、 「本当は残酷な童話」 といったタイトルの本が平積みになっている。 売れているんだろうか。

確かに、オリジナルの童話には残酷な、というかスプラッタなものが多い。 何故か?

  1. 昔の話だから。

    童話ができたのは、戦乱や疫病や飢饉で簡単に人が死ぬ時代である。 命の価値も、残酷のレベルも、今とは全然違っただろう。 指を切り落とされたり目を潰されたりした人を頻繁に見るような環境なら、不幸な結果として、そういったことを基準レベルとして話に使うのではないか。 今の時代なら、ローンで自己破産程度の不幸に相当するものとして、だ。

  2. 相手が子供だから。

    童話の多くが、教育的な設定になっている。 因果応報ってやつだ。 ところが子供ってのは、感受性は高いが知性がさっぱりだ。 教育的な効果を上げるには、良いも悪いも報いを大きく判りやすくする必要があったのではないか。

すぐに思いつくのはこんなところ。 不幸も残酷も今とはレベルが違う時代に、さらにそれを強調した結果ということだ。 まあしかし、大人が無難に作り直した童話ってのは、退屈なだけだね。 睡眠薬代わりにはいいかも知れないが。 あ、ここんとこ寝付きの悪い日が続いているから、添い寝で白雪姫なんかを聞かせてくれると嬉しいな。 耳元で囁いて。