1999 03 01

いけません

臓器移植に関しては、個人に直接関わる情報(名前・年齢・性別等々)を非公開にするのだと思っていた。 しかし、本来は病院名も公開しないものらしい。 病院名は、摘出側も移植側もばんばん流れていたぞ。 駄目じゃん。

今あるルールを守った上で拙いところを変えていくのは、馬鹿みたいに時間がかかるが、それが民主主義というものだ。 自分たちの主張や利益のために、少々の(と都合良く判断した)ルールを無視するのは、いわば報道テロだ。

さっき、ニュースジャパンで、今回の移植とその報道についての検証をしていた。 報道が問われそうなときに毎回やっている、言い訳じみた曖昧なものだった。 どうせやるなら、 犯人探し をやってくれ。 得意だろ?

そういったことを徹底調査。 事件の鍵を握る人物を、浮かび上がらせる。 現場で取材に当たっていた記者でも、その上司でもいい。 とにかく当たりをつける。 この時点で推定有罪。 そして取材攻撃。 家に直撃。 仕事先に直撃。 遊びに行った先で直撃。 家族に、親戚に、近所の人に、職場の同僚に、卒業した学校の先生に。 直撃、直撃、また直撃。 さらに、昔書いた手紙をどこからか手に入れて公開し、大学の心理学教授にいろいろ分析させる。 本人でも忘れているような子供の頃の不幸な出来事をほじくり返して、これが彼の心を歪めたのだと決めつける。 昔つきあっていた女を捜しだし、モザイクかけて声を変えて、 「なんかぁ、すごいぃ、しつこいところがぁ、あったんですよぉ」 なんて証言させる。 どこに行くにも、カメラとマイクで追いかけ回し、しかも相手は、昨日までの仕事仲間。 「もうやめてくれよ、仲間じゃないか」 との言葉に、 「自分だってやってたことだろ」 「こうしないと俺が食っていけないんだ」 「報道の自由のためだから」 「ここで誰かが犠牲にならなくちゃいけないんだ」 等々、言い訳をしながら、また追いかける。 涙なしではいられない。 その涙すらネタにする。 無情のフラッシュに光る涙。 涙を踏み越えてこそのジャーナリズム。

あぁ、不謹慎にのりのりの俺。