1999 10 02

東海村の核燃料施設の事故

東海村の核燃料工場の事故。 結局のところは、会社の方針としての手抜き運用で綱渡りのところに、不慣れな操作員のミスが重なったということらしい。 会社(J.C.O.だっけ?)の社長が土下座してたそうだ。

作業が簡単になるから(たぶんコスト低減だろうけど)ということで、わざわざ作った手抜き運用の作業手順を間違えてしまう。 いったいどんな馬鹿なんだろうと思ったけど、考えてみれば、簡単だからこそミスをするのかもしれないな。 簡単であればあるほど、ちょっとぐらい違ってもいいだろうって気になるもんだし。 むしろ絶対に覚えきれないぐらいに複雑にした方がいいのかもしれない。 ま、何をどうやったところで、間違えるときは間違えるんだけど。

テレビを見てて気になったんだけど、何で 「被ばく」 と平仮名表記なんだろう。 放射線に曝されたから被曝。 「曝」 という字が、JIS第1水準じゃないとか、常用漢字じゃないとか、そーゆーことなのかな。 最近は、 「被曝」 と 「被爆」 を区別しない方向らしいけど、わざわざ 「被ばく」 と表記するのは、そういった流れへの抵抗だろうか。 どうでもいいか。

今回の事故では、被曝するかもしれないと自覚して被爆した人がいた。 消防の3人と、事故処理をした職員3人。 人数はちょっと曖昧だけど。 俺が興味があるのは、こいつらが 「そんなとこに行くのは、被曝するから嫌です」 と言ったら、どうなったかということだ。

こういった事故の時、たぶんすぐに消防署に連絡されるだろう。 彼らだけが持つ特殊な装備と訓練に対して期待するからだ。 だがそれは、たぶん放射能漏れのようなことを想定したものではない。 放射能漏れに対する無力さ加減では、消防職員も地元一般住民も大した違いはない。 宇宙服だって完全じゃ無いんだから。 それでもそこに行かなくてはならないという義務が、消防職員には有るだろうか?

無い。 たぶん。

住民からすれば、事故を起こした会社の人間が事故の処理をするのは、当然だと思うかもしれない。 が、同僚のミスを、命がけで尻拭いしなければならない義務が有るだろうか?

これもやっぱり、無いんじゃないかと思う。

放っておけば臨界から爆発に至る可能性が高いとなったとき、最も正しいのは、みんなで逃げることだろう。 人の命が平等に大切だって言うんならさ。 今住んでいるところを離れたところで、死ぬわけじゃないんだし。

爆発したら、被害は近所だけじゃ済まなくなるから、大勢の人の健康な生活のために、誰かが処理に行かなくてはいけない。 誰か行け。 と、多数決でそう決まったとき、誰が行くべきだろうか?

一番は、ミスをした本人だろう。 薬を打って動けるようになるなら、薬を打って行かせる。 あとは、死刑囚に、死刑の取り消しと引き替えに行かせるとか。 司法取引(?)で、麻原に、信者の誰かに行けと命令させるとか。 既に被曝してる中で、まだ動けて、だけど症状としては酷い人とか。 健康な人が新たに被曝するより、もう被曝して後遺症が確実な人が行った方がいいってことで。 先が短いということなら、老人会で行けばいいんじゃないかとか。 電気代を滞納している人とか。 パフォーマンスで小渕君とか。 ま、俺じゃないなら誰でもいいや。