1999 11 27

リフレイン

久しぶりに新宿に行った。 相変わらず人が多くて、少し気分が悪くなった。 駅の前、東海銀行の横で、ホームレスらしい汚い爺さんが歌っていた。 「インテリ女が子供を殺した」 ただそれだけを、延々繰り返していた。

思い出したこと

保育園の頃だったと思う。 その日、母と妹と風呂に入っていて、英語の数え方を教えてもらっていた。 one, two, three, … と数えて、twenty までだったかな。 俺はまあ何とか数えることができたが、2歳下の妹はなかなか覚えられない。 覚えられないのが当たり前だと思うが、その時、母は、そうは思わなかったらしい。 なかなか覚えられないのに業を煮やし、 「数えるまで出ちゃ駄目よ。 お兄ちゃん、教えちゃ駄目だからね」 と、妹が入ったままの湯船に蓋をして、風呂から上がってしまった。

それまで数えられなかったものを、風呂に閉じ込めたって、数えられるようになるはずがない。 風呂の中で妹が泣いている。 可哀相だけど、教えちゃ駄目だと言われている。 どうしようかと途方に暮れていたら、 「まだ数えられないの? お兄ちゃんも少しは教えてやったらいいでしょ!」 と、ドアの向こうから母の声。 それで途中からは俺が一つ一つ教えて、ようやく風呂から上がることができた。

教えるなと言うから教えないでいたら、何で教えてやらないんだと責められる。 子供心に、全く納得行かなかった。 だからこそ、そんな子供の頃のことを覚えていたのだろう。 大人になってから、その時のことを言ってみたら、母は覚えていなかった。 母にとって、俺達が思い通りにならずに苛々させられることは、当たり前の日常だったからだろう。

中学の頃だったと思う。 ある日、母が言った。

「家には、そんなにお金もないし、あんた達に残してあげられるものもない。 だからせめて勉強だけは、どんなことがあっても、したいだけさせてあげる」

祖父が競艇にはまってしまい、そのせいで家はすっかり貧乏になってしまった。 母は大学に行きたかったのだが、家にはそんな金が無くて、仕方なく諦めて就職した。 と、そんな話を聞いたことがある。 行けないと思うから余計に行きたくなるというのもあるかもしれない。 とにかく、同じ様な思いを子供に味合わせたくないと思っていたのだろう。

大学の冬休み、久しぶりに帰った時だった。 何となく寝付けなくて、枕元に置いてあった本を手に取った。 幸福の科学。 何でこんなものがここにあるんだろうと思いながらも、ぱらぱらとめくってみた。 細かい内容は忘れてしまったが、所々つまみ読みしたところが、いちいち胡散臭かったのは覚えている。 本の後ろの方に、 「この本にはパワーが込められていて、あなたの願いを叶えることができる」 とあった。 下らないなぁと思いながらページをめくっていくと、叶えたい願い事を書く欄があった。

かおりさんが大学に合格しますように

母の字でそう書き込んであった。 その2年前だったか、妹が受験したときに(それは俺が受験したときでもあるのだが)書いたのだろう。 宗教なんてまるっきりバカにしていたのが、こんな胡散臭い本にすがる。 それが俺にはショックだった。