1999 12 25

ガラクタ

23日というと一昨日か。 「シパン王墓の奇跡 黄金王国モチェ発掘展」 を見てきた。 黄金王国なんてタイトルなのに、実際の展示品の7割が土器。 まあ土器は土器で面白かったんだけど。

ほんのわずかのピースから、ジグソーパズルの全体像を想像する。 しかもパズルが完成することはない。 考古学というのは、そんなもんじゃないかと俺は思っている。 手がかりの少なさが、わずかな出土品の価値を高くする。 それはいいのだが、発見・発掘したものを無理矢理に意味あるものだとするのはどうだろうか。 ここで言う 「意味」 は、考古学的な意味ではなくて、物そのものの意味(用途)のこと。 なんだかよく判らない出土品を、なんでもかんでも宗教的なものとしてしまう態度が、俺には気になるのだ。

発掘された装身具に対して、 「呪術的というよりは、単に可愛いからという理由で着けるアクセサリーでしょう。 今のコギャルがジャラジャラつけているような。 まあガラクタですね」 とか、発見された壁画に対して、 「確かに良く描かれていますけど、何か目的があって描いたわけじゃないでしょう。 暇潰しというか、トイレの壁の落書きってとこですね」 とか、言え。