2000 04 15

優しさについて

よく 「本当の優しさ」 と言うけど、 「本当の」 なんて言葉にあまり意味は無い。 判断し評価すべきは、その現れ方だ。 憐れみからであっても、自己陶酔からであっても、或いは何か目的があって優しくしているのであっても、その現れ方が優しいのなら、それは優しいのだ。 「他人が傷ついたのを見たとき、それを自分がやったのだと思うと、へこむ。 だから、なるべく人を傷つけないようにしている」 と言うなら、有効なのは 「なるべく人を傷つけないようにしている」 という部分だけだ。

募金と同じようなものだと思う。 それがどんなつもりで出されたものだろうが、金は金。 自己満足じゃないかとか思い悩んで出さないよりも、小銭が邪魔だからとコンビニで釣銭23円を募金する方がいい。 同情した貧乏人が飯代を削って出す1000円よりも、金持ちが売名行為で出す100万円の方がよほど役に立つ。

精神的な優しさというか、優しい気持ちというか、そういったものを否定しているわけではない。 同じ条件においてなら、より優しくなれる要素だろうから。 けど、違う人が同じ条件に立つなんて、けっこう非現実的な仮定だからね。 それでも敢えて 「本当に優しい人」 がどんなものかを考えるならば、だ。 「優しくない人は、自分が優しいかどうかで悩んだりしない」 ぐらいのことは言えるだろうと思う。 その程度でしかないんだけど。