2000 07 12

馬鹿話

朝の通勤電車で、久しぶりに会う奴と。

「うちの会社で誰か死んだらしいんですけど、知ってます?」

「いや、知らない。 誰か死んだのか?」

「噂なんですけどね」

「まさかお前じゃないだろうな」

「なに言ってんですか。 ちゃんと手も足もあるでしょうが」

「今時幽霊だって足ぐらいあるだろ」

「そうなんですか?」

「知らんよ。 ちょっとあっち向いて、振り返ったら誰もいなかったりして」

「だから違いますって」

「ま、それでもいいんだけどね」

「ちょっと待ってくださいよ。 まるで俺が死んでもいいような言い方じゃないですか」

「いいよ、別に」

「それはちょっと聞き捨てならないですね」

「だって、お前が死んでも、俺は何にも困らないからね」

「うわ」

「お前だってそうだろ。 俺が死んだところで何にも困らないだろーが」

「そうはいきませんよ。 死ぬ前に革ジャン貰わないと」

「革ジャン?」

「あれを俺にくれてから死んでください。 それからだったら、いつ死んでもいいですよ」

「なんだよそれ」

「その代わり、俺が死んだらGジャンあげますよ。 交換しましょう」

「いらねーよ。 さっさと死ね」

分倍河原で 「じゃ」 と別れてから思ったのだが、もしこいつが本当に死んでて、わざわざお別れを言うために出てきたんだとしたら。 そして、周りの人には見えてなかったのだとしたら。 俺って、電車の中で一人、見えない誰かとだらだら会話している、とっても危ない人ではないか。 生きててくれてよかったよ。

今日は浜松町で、システム導入の打ち合わせ。 途中の暇潰しに買った AERA に、雪印のことが書いてあった。 その一部。

その夜の別の会見後、エレベーターに乗った石川社長は、追いすがる記者らに、 「私だって、寝てないんだ!」 と怒鳴り、 「こっちだって寝ていない。 そんな問題ではないでしょう」 とやり返された。 その場面もしっかりテレビ放映された。

俺がテレビで見たのは、雪印の社長が疲れた表情で言い訳がましく言った姿だった。 むしろ記者の側が 「!」 をたくさん付けるような語気だった。 怒鳴る社長と冷静に切り返す記者というのは、全然逆だったぞ。

そして、新システム導入のための打ち合わせ。

「ところで、深谷ってどこだか知らないんですけど」

「高崎線の深谷駅ですよ」

「高崎線… が、どこだかも知らないんですけど」

「上野で乗り換えて、1時間ぐらいかな」

「!」

「渡邊さん、家はどこでしたっけ?」

「日野です。 ほとんど八王子」

「八王子ですかぁ…はははは」

「はははは」

「深谷に9時なんですけど」

「わははは」

来週の月曜日、何時に家を出ればいいんだろう。 はぁ…