2000 08 20

寂しいと言える贅沢

横井さんと小野田さんと、最後の軍人はどっちだったかな。 どっちも俺が小学生の頃に帰ってきたんだと思うが。

その小野田さんを、先週、久しぶりにテレビで見た。 いや、本当に久しぶりなのかは怪しいところだな。 敗戦記念日のたびに、どこかのテレビに出てそうな気がするし。

で、小野田さん、今ではすっかり爺さん。 ジャリ相手に、キャンプ指導なんかをしているらしい。 そこに来ていたジャリと小野田さんのやりとり。

「一人で寂しくなかったですか?」

「大切な目的があるんだから、寂しいなんて贅沢は言ってられない」

こーゆーのはきっと、小野田さん FAQ なんだろう。 寂しいなんて贅沢か。 寂しいからこそ目的に没頭したのかもしれないとも思うのだが、どうなんだろう。 目的のために寂しさに耐えるはずが、寂しさを忘れるために目的に依存する。

ま、どうであれ、 「目が覚めたら1時でした」 なんて生活の俺には、想像できない世界だな。

ところで小野田さん。 確か敵情を探るのが任務だったはず。 なのに、終戦に何年も気付かない。 こういった目的にはまるで不向きな人だったんじゃないだろうか。

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先月だったか、テレビで、記憶障害の人を見た。 交通事故の後遺症で、それまでの記憶の一部を失い、その上さらに、新しいことが覚えらなくなった人。 短期記憶が、記憶として定着しないんだそうだ。 だから、明日の自分に、いつも手紙を書いてから眠る。 こんなことがあった、あれをしなくちゃいけない、等々。 そして、朝はその手紙を読むことから始まる。 朝だけじゃない。 どこかに出かけるときは、数時間先の自分に当てた手紙を腰にぶら下げて出かける。 どこに行くのか、何をしに行くのか、忘れてしまうからだ。

どんなに大切な目的も、翌日には消える。 嬉しかったことも、楽しかったことも、ずっと忘れたくない瞬間も、消える。 悲しかったことも、苦しかったことも、いつか笑って話せるはずの辛いことも、消える。 寂しいと言うなら、もう圧倒的に寂しいんだろうな。

振り返らずに

京王高尾線は、終点前の最後の1駅間 高尾→高尾山口(終点) が単線になる。 終点前なら単線で十分なのか、予算が足りなくなったのか、或いは、自然環境に配慮した結果か。 どうでもいいか。 電車って、片道はずっとバックしてるとも言えるんだな。