2000 09 06

やる気なし

仕事の合間に、ふと。

「人を殺してみたい」 と、誰でも1度は考えたことがあると思っていたのだが、どうもそうではないらしい。 ちょっと前、どっかの17歳が人を殺したとき、俺が理解不能だったのは、 「人を殺してみたいと思う衝動を制御できなかったこと」 だったのだが、この衝動自体が理解できない人もいるらしい。 殺すまで極端じゃない小さな衝動でさえも。

例えば、ラッシュアワーの駅の階段を降りているとき、前を降りている人を突き飛ばしたくならないか? そこから雪崩のように人が落ちていくところを見たいと思ったことはないか? と訊くと、 「ない」 と答える人がいる。 けっこうたくさんいる。

突き飛ばしたい衝動を覚え、それを抑えているから、 「ひょっとしたら、俺の後ろの奴も同じ思いでいるのかもしれない」 と思って、何となく手すりの傍を歩くことがあるのだが、その姿は、この衝動が判らない人には、全く理解不能に滑稽で不気味なんだろうな。

バイアグラって、最近すっかり聞かなくなったのだが、順調に売れているんだろうか。 売れてるんだろうな。 ああいった薬があれば、女が男をレイプすることも可能だろう。

さて。 恋人に自殺されるのと、恋人がレイプされるのと、どっちが嫌か? これを、恋人から自分との関係(或いは自分の価値)が否定されるのと、自分とは無関係に恋人の尊厳が犯されるのと、どっちが嫌か? と翻訳するのは、正しいか?

銀行に金を預けている。 銀行が金を貸す。 このとき、 「その金は俺が貸してやってるんだ」 とは思わない。 金を借りている人も、銀行から借りたと思っている。 銀行も、自分が貸したつもりでいる。 という喩えは、あんまり適切じゃないような気もするが、まあいいか。

脳死体から臓器を移植したとき、その臓器は、いったい誰から 「貰った」 のだろうか? 臓器提供者は、どこの誰に使ってくれと言わない。 それは銀行に預金しているようなものではないか。 預金窓口で皿にのっけた札束を、そのまま隣の借金窓口に持っていかれたようなイメージ。 いや、だからどうしたってことは無くて、どんどんやってくれればいいのだが、臓器はやっぱり、医者か移植コーディネーター辺りから貰ってるって気がするよ。