2001 04 03

無駄な儀式

日曜日の昼のニュースだったか、卒業式の映像が流れていた。 「養護学校に行くのは嫌、普通の学校に行きたい」 普通の 学校に入った車椅子の女の子の卒業。

その学校では、彼女が入学するにあたって、バリアフリーに校舎を改造したんだそうだ。 そして卒業式では、 「ステージに上がることはできるけど、時間がかかってしまうかも知れなくて…」 という彼女の懸念を解決するために、卒業証書授与など卒業生全員がステージに上がらないで行うようにしたのだという。

それでふと疑問に思ったのだが、学校側は何のつもりで卒業証書を壇上で渡すのだろうか。 そこで卒業証書を受け取る生徒にとっては、また、その姿を見る親にとっては、どんな意味があるのだろう。 文字通り、卒業の晴れ舞台とでも思っているのだろうか。 或いは、子供の写真を撮りたい親のためのサービスタイムか。 単なる式の慣習か。 って、まわりくどいな。 何が気になるのかと言うと、要するに、 車椅子の子は壇に上がりたかったのか? ということだ。 彼女が(もし車椅子でなかったら、或いは、車椅子ででも)壇に上がりたいと思っていたのなら、それ故に彼女は、他の人もそうしたかったと想像することだろう。 とすれば、あの卒業式は、自分のせいで他の生徒全ての楽しみを奪ってしまったという考えに彼女を追い込むことになるのではないか。 そして、本音がどうであれ、嬉しいですとしか言えないテレビのインタビュー。 それが美談としてニュースで流されるとき、彼女の思いはより強くなってしまうのではないか。

そんなわけで、来年は是非、また壇上で卒業証書授与をやって欲しいものだ。 それにしても、彼女が風邪かなんかで休んだら、どうするつもりだったんだろうな。