2001 07 22

広島の2

ちょうど休みが重なって、妹も帰っていた。 その妹から聞いた話。

あるお婆さんが、腸の病気で入院し、手術することになった。 人工肛門を作る手術。 上品でおしゃれだったお婆さんは、人工肛門になってしまうのが嫌で嫌で堪らない。 そのため、一度は手術を延ばしもしたのだが、他に手段もなく、結局手術した。 手術後、予想通りではあるが、お婆さんは落ち込んだ。 こんなとき、看護婦達は、人工肛門のトレーニングで 「こんなに早くできるようになるなんて、すごいですね。 これならもう大丈夫ですね」 と、大げさに感心して見せる。 そうすることで、お婆さんもだんだんと笑顔を見せるようになった。

人工肛門が嫌で落ち込んでいるお婆さんに対して、 「人工肛門の使い方が上手」 と言うのは、明らかにずれた慰め・励ましだ。 もっとも、看護婦の側にしても、そう言うしかないのだろうが。 それでも婆さんが笑顔になるのは、諦めからか。 或いは、ずれてはいても慰めようとしてくれる看護婦の気持ちを汲んでのことか。 或いは、そんなずれた言葉が慰めになると思われていることへの、皮肉と自嘲なのか。 いずれにしても、お互いに判っていながら判らない振りをして見せる笑顔だとしたら、それはなかなかいい笑顔だ。

母から聞いた話。

先生ね。 毎年ミカンを贈ってくれるんだけど、今年はなかったんよ。 こっちから何か送ったときにはすぐに御礼の手紙がくるんだけど、それもなかったし。 歳が歳だし、何かあったんじゃないかって不安になって電話してみたのね。 そしたら、一人暮らしのはずが、若い女の人が電話に出てね。 ヘルパーだったんよ。 先生、痴呆が出てるんだって。 それで、その人にいろいろ聞いてるうちに、先生がきて電話代わってね、 「博之君やろ? それやったら私やないと、話ならんやんかなぁ」 って。 今、自分が担任している気でいるみたいなんよ。

彼女は小学校の6年のときの担任だ。 当時、既にかなりの歳だったので、あれから20年以上経った今、呆けていても不思議はない。 今、彼女が担任している俺が、程好く手のかかる楽しい子であればいいのだが。 しかし、俺も歳を取るわけだよな。

最後の砦

再開発地域に取り残された病院。 好き放題伸びた蔦に覆われている。 広島に帰ってくるといつもこの辺りの変化に驚くのだが、この病院だけはずっとこのまま。