2002 01 15

ペットの死

駅で買った AERA に、 「寝たきりのペット看取る」 という記事が載っていた。 昨日、 「飼っている犬が癌で…」 という話を聞いていたので、この記事がよけいに心に迫る。 これもシンクロニシティってやつなのかな。

昔、インコを飼っていた。 名前はノンちゃん。 羽根がようやく生え揃ったぐらいに家に貰われて来て、それからおよそ10年生きた。 家族の中では、一番よく遊んでくれる俺になついていた。 インコというのは、どのインコもそうだと思うが、人をきっちり差別する。 なついた相手には片時も離れたくないらしい。 籠の中にいるときは、声が聞こえただけで 「ピルル!ピルル!」 と呼び、籠の外にいるときは何を置いても飛んでくる。 しかし、なついた一人以外は、ほぼ無視。 母などは、 「お母さんが階段を下りるときに、たまに足音をお兄ちゃんと間違えるらしくてね。 すごい一生懸命呼ぶんよ。 でも、そうやって呼んでるところにお母さんが出てきたら、『なーんだ、お母さんか』って顔して、ピタッと鳴き止むんだからね。 可愛く無いったら」 などと愚痴り、時にはインコに向かって 「あんた、お兄ちゃんばっかりなついて、お母さんには知らん顔してるけど、毎日水を替えたりご飯あげたりしてるのはお母さんなんだからね!」 などと真顔で言っていた。 そんなことも、俺には可愛いばかりなのだが。

そのノンちゃん、7年目か8年目ぐらいに白内障にかかって、やがてほとんど目が見えなくなった。 目が見えないせいで、わずかな物音にも脅え、餌や水を摂るのも苦労するようになり、一日中籠の底にうずくまってあまり動かなくなった。 それから数年して死んだ。

AERA の記事の後半は、ペットの安楽死についてだった。 ノンちゃんの晩年、安楽死という選択を提示されたら、俺は、そして家族は、それを選択しただろうか。 苦しんでいるのを見ていられない気持ちと、それでも生きていて欲しいと思う気持ち。 どっちにしたって、人間の側の勝手な感情なんだけど。 そして、死んだときに、少しだけほっとするのだけど。