2002 04 13

髪を切る・切らせる

久し振りにゆっくりできる土曜日。 いい天気。 伸び放題に伸びた髪を切りに行ってきた。

一通り切った頃、男の子を二人連れた母親が入ってきた。 その店には馴染みの母子らしい。 「今日はどうする?」 と訊かれた上の子は、 「ぼく、いつもと同じ」 と答えて、空いている椅子に座ろうとした。

で、ちょっと気になったのは、店員が同じことを母親に訊いたときのこと。 「いつもと同じにしますか?」 と聞かれた母親は、 「もう暑いくらいだし、ちょっと短くしてください」 と答え、さらに子供に向かって言った。

「短いのも好きよね?」

子供は、ちょっと考えた後、 「ぼく…いつもの方がいい」 と、浮かない様子で言っていた。

自分が着せたい服を着せて 「子供が欲しがっていたから。 こういうのが好きよね?」 と、自分が見たい映画に行くのに子供を連れて 「子供が見たがっていたから。 この映画、見たかったのよね?」 と、自分の意見や好みを、まるで子供の選択に従ったように話す人がいる。 この母親もそうなのだろう。 他人のことだし、どうでもいいと言えば全くどうでもいいのだが、そういうのを見る度に引っ掛かりを感じるのだな。 親の意見がもっともかどうかじゃなくて、その表現方法がね。 押し付けなら押し付けではっきり言えばいいものを、何でこんな言い方をするんだろう。

店の外に出たら、雨が降っていた。

ハナミズキ

いかにも実をつけそうな雰囲気。

蒲公英

蒲公英。

周りに低い草しか生えていないときは、自分も地面に近い低い位置で花を咲かせる。 しかし周りに草が生い茂っていたりすると、それらの上に出るまで茎を伸ばす。 会社の近くでは、躑躅の植え込みから顔を出しているものがある。 茎の長さは70cm近くになるだろうか。

光か風が十分に当るまで伸びる仕組みになっているのだろうが、いったいどこまで伸びるのか、ちょっと確かめてみたい気もするな。

まあしかし、伸びなくてもいいところでは全く伸びないという姿勢は、なかなか好感が持てるではないか。