2003 02 01

タイ:安全祈願

今日がここの独立3周年なんだそうだ。 前々から、 「滅多にできない経験をさせてあげるよ」 と言われていたのだが、その経験とは、どうやらタイ仏教独特の儀式らしい。

貢物

昨日まで俺たちのPCが乗っていた机が、事務所の外に並べられて、机の上には米や菓子や粉末飲料(ミロとか)を入れた袋がぎっしりと並べてあった。 見たところ肉類は入っていないようだ。 向かいの倉庫の前にはテントがかけてあり、テントには既に坊さんが待機していた。 坊さんは9人。

「9は、タイではラッキーナンバーなんやな。 ほいで、あん中に双子がおるねん。 双子だけは、わし、覚えとるで」

だそうだ。

何か合図があったのか、そろそろ頃合だと判断したのか、坊さんが列をなしてこちらにやってきた。 坊さんは手に小さなたらいのような物を持っていて、俺たちはそのたらいに貢物が詰まった袋を乗せる。 すると、坊さんについている人が、その貢物を持参の袋に入れる。 空いたたらいに、次の人が貢物を入れる。 貢物を袋に入れる。 空いたたらいに… これを全員がやる。

貢ぎます

修行の妨げになるからか、女性は坊さんに直接触れてはいけないんだそうだ。 そんな扱いに疑問を抱くどころか、わざわざ裸足になって、嬉しそうに手を合わせる人もいた。 信心深い人は裸足になるそうだ。

貢物を貰う方の坊さんは、全く無表情。 にこりともしない。 年齢は、けっこう幅があるように思う。 20〜50代だろうか。 間近に見る坊さんは、何故かみな眉毛が薄かった。

その後、構内に3ヶ所ほど設けてある仏壇(?)にみんなでお参り。

祭壇

これは2番目。 祭壇に花のついたリボンをかけ、線香を立てる。 祭壇は土足禁止。 あまり気が進まないのだが、俺もマネゴト。 大きな線香9本を束にしたものと花をあしらったリボンを渡されて、順番にそれを仏壇に飾る。

仏壇の前にはお供え物が置いてあるのだが、そのお供え物がね。 果物に囲まれた豚の頭。 首のところから切り落とした豚の頭が、たぶんその豚のであろう切り落とされた足の上に、上を向いて。

お供え物として殺生されたのでは、自ら食わなくてもやはり殺生だろうと思うが、その辺りは気にしないらしい。 いや、そもそもタイでも殺生禁止なのかな。 線香は、お供え物の豚の頭と丸焼きの鳥にも立てられていた。

ちなみに、この前に行った祭壇は、屋根の下に金色の仏像があるもの。 この後に行った祭壇は、これと同じタイプで少し小さ目のもの。 そっちもやはり豚と鳥が供えられていた。

そうそう、仏壇は、工場はもちろんホテルにも学校にも、ちょっと大きな建物なら必ずと言っていいほど設置されている。 たいていは通りに近いところ(つまりは敷地の端っこなのだが)にあって、道行く人が手を合わせたりしている。 「あぁ、ここにもあるんだな」 ぐらいの気持ちで見ていたのだが、まさかこんなに本格的に向き合うことになるとは思わなかった。

特設ステージ

再び事務所の前に戻ると、特設ステージ(と言っても、机を並べた上にござを敷いたもの)に坊さんが並んで座っていた。 一番端っこには、小さな祭壇(?)が設けてある。 端から二人目の、たぶん一番偉い人が、笑顔で皆に何か声をかけていた。 たぶん世間話だな。 その間、禿げたおっさんがマイクの調節なんかしていた。

準備が整ったところで、たぶんありがたいお説教の開始。 小学校の卒業式のように、坊さんがちょっと喋って、みんながそれを復唱。 タイ語なので、何を言っているのかさっぱり判らない。 とりあえず手だけ合わせておく。

祭壇に一番近い坊さんが、祭壇に結んであった糸の束を持って、解きながら隣の坊さんに渡す。 隣の坊さんがまた隣の坊さんに… と、糸のリレー。 最後の坊さんまで行った所で、坊さんみんながその糸を手にかけて、お経の合唱が始まった。 この合唱が凄かった。 芸能山城組を思わせる、人の声が作る響きの重層。 意味はわからないが音楽として素晴らしい。 さっきまではうんざりしていたのだが、この合唱で回復。

お経の後、また貢物を坊さんの前に並べて、9人がそれを手渡す。 手渡すのは日本人の役目なのか、その役を果たす栄誉を譲ってやろうということなのか、俺まで駆り出された。 最後、皆にたぶん清めの水をかけ、車にはおまじないの模様を描いて、坊さんたちは帰っていった。

儀式の後

坊さんたちが帰った後、事務所の人たち(ほとんどがタイ人女性)が、お供え物を分けて食べていた。 もちろん豚の頭も、その例外ではない。 豚は、肉を指で裂き取って、辛子味噌みたいなタレを付けて食べる。 祭壇にあったときにはついていた耳が無くなっているのは、食べられないから切り落としたのか、既に食べられたのか。

俺も一切れ貰ったが、味は普通に豚。 って、そりゃそうか、豚だし。 特に美味くも不味くもないものだが、タイ人はとても楽しそうに食べていた。 彼女たちには、けっこうなご馳走なんだろう。 ああ、楽しいのは、美味いからではなくて、食べながらのお喋りなのかもしれないな。 豚も、鳥も、1時間後には跡形もなくなっていた。

儀式に予想外に時間がかかったので、午後はさっさと帰ることになった。 夜はスカラという中華料理店で鱶鰭スープ。 初めて食べたんだけど、鱶鰭スープは美味かったな。 炒飯も美味かったけど、卵の殻が入っていたのはね。

「昼の儀式って、ゲンチャーズはどのくらい本気でやってるんですかね」

「うーん… 結構みんな信じていると思いますよ」

「あれをやることで、何かいいことがあるとか?」

「いや、やらないとよくないことが起きる、でしょう」

「ふーん… やることによって、何か悪いことを起こしてみたらどうなるんですかね」

「例えば?」

「出なかった人だけ、ちょっと給料を上げてみるとか」

「あはは… またそんなことを」

「でも、ちょっとやってみたいでしょ?」

「うーん… ちょっと… いや、私はそんなこと思いません。 思いませんよ」

鱶鰭を食いながらそんな話をして、ホテルに帰ってテレビをつけたら、 「スペースシャトル・コロンビアが墜落したらしい」 と言っていた。 コロンビアも、あの坊さんのおまじないをしてもらっていたら、墜落せずに済んだのだろうか。