2003 04 10

違う違うそうじゃない

新宿駅で電車を待っているときに、俺の後ろに並んだ男女が話していたこと。

「家の中に女の子ばっかりだと、なんか却って疲れませんか?」

「そうなんだよねぇ… いろいろ五月蝿くてさぁ」

「ははは、判りますよ、それ。 女の子って、細かいところで五月蝿いんですよね」

「電気をまめに切れとか、水を流しながら歯を磨くなとか」

「トイレの後は便座を下ろせとか」

「あ、それ、言う言う。 家は女ばっかりなんだから、下ろしとけって」

「上がっているのに、うっかり座っちゃう人もいるみたいですよ」

「そんな奴はいないだろ」

「いますって。 友達も、こないだ座っちゃって、怒ったって言ってましたよ」

「ははは、同情するよ」

気になったのは、この男が家で言われていること。

家は女ばっかりなんだから、トイレを使ったら便座を下ろしとけ

こいつの家庭が、仮に男1人に女3人だったとしよう。 そのそれぞれが、トイレから出てきたときに便座の上げ下げを放置してきたとする。 さらに、自分がトイレに入るとき、その前に誰がトイレを使ったかが完全にランダムであったとする。 すると、誰かがトイレに入ったとき、便座は 1/4 の確率で上がっている。 もう少し現実に則して考えると、一般的に女の方がトイレの間隔は近いし、男が小便ばかりするわけでもないし、便座が上がっている確率は更に低くなるだろう。

つまり、女がトイレに入ってわざわざ便座を下ろさなければいけなくなる場合は、男がトイレに入ってわざわざ便座を上げなければいけなくなる場合よりも、圧倒的に少ないのだ。 他のことは知らないが、ことトイレにおいては、こいつの家庭では男の方が圧倒的に面倒な思いをしているはずなのである。

確かに、たいてい便座が降りていれば、それはもう降りているものだと思って、確かめもせずに座ってしまうかもしれない。 けど、そこで責められるべきは、やっぱり自分の不注意なのだ。 そんな不注意をしてもいいようにと人に面倒を押し付けるのは、しかもその根拠が少数派だからというのは、多数派の傲慢でしかない。 「自分はたまにしかしないから忘れる。 だからお前が毎回やれ」 なんて、あまりにも非道い言い草ではないか。 同情している場合じゃないぞ。

それでも、深夜に帰って、一人でカップラーメンを食べる生活よりはましなのかもしれない。 俺も早く主夫になりたい。