2003 10 05

東北の旅の2

市内の宮沢賢治ゆかりの地を散歩した後、厳美渓をやめて遠野へ。

宮沢賢治

宮沢賢治。 なのだが、出川哲郎にも見える。 花巻出身の賢治の像がなんでここ盛岡にあるのかというと、彼の処女(童貞?)作 「注文の多い料理店」 を出版した光原社があるから。

賢治ゆかりらしい喫茶店でコーヒーを飲み、賢治の詩が大書してある壁を眺める。 朝の過ごし方としては上々だな。

きらきらくるくる

盛岡駅西口の、訳の判らないアート。 ま、この手のアートは何だって訳がわからないものだが。 キラキラして、そうとは気づかないほどにゆっくりと回っていた。

東口は賑わっているのに、西口はさっぱり。 この格差は、かつて西口が朝鮮人のスラム街だったから、という話もあるようだ。 スラム街だったかどうかは知らないが、盛岡に朝鮮人が多いのは確かなんだろう。 冷麺や焼肉の店は多い。

曲り家

遠野は伝承園の曲り家。 L字型の家の半分が人、半分が馬のためのスペースなんだそうだ。 建物も古いが、中の家具がね。 なんかもう空き巣が入った後のような乱雑さ。 古くて痛んでいるのはしょうがない。 重要文化財になると、なかなか修理ができないってことも判る。 けど、片付けるぐらいはできるだろうに。

流し目

曲り家の角に立てかけてあった幟と藁人形。 何かの祭りで使うものらしい。 正面を向いてる奴はどうかと思うが、その影からこちらを流し見る奴はなかなか。 意地悪そうな表情がいい。

デカメンゾク

曲り家の上がり口に置いてある面。 すぐ横の敷居と比べると判るが、でかい。 普通の人の倍ぐらいか。 あ、倍と言うのは幅のこと。 面積なら4倍、体積なら8倍だね。 ま、とにかくでかいのだが、それでも、ちゃんと目に穴が開いていて、耳の辺りには被ったときに留めるための紐もある。 つまり、これを被る人がいたのだな。 物凄く顔のでかい人が。

繭

農家の娘が、飼っている馬に恋をした。 それを知った娘の父親が、怒って馬を殺した。 すると、馬とともに娘も天に昇って、オシラサマになった。

というのが、オシラサマの伝説。 漢字では 「御蚕神様」 と書くオシラサマ。 農業全般の神様らしいが、そもそもは蚕とは関係ないのだな。 養蚕は盛んだったらしいけど。

御蚕神堂

御蚕神様に願い事をするのが、この御蚕神堂。 穴の開いた布に願いを書いて、馬頭人頭交互に並んでいる小さな像に通す。 そもそも農業の神様だから、受け付ける願いも農業方面だと思うのだが、そんなことは誰も気にしてないようだ。 進学とか、病気回復とか、漠然と 「運が良くなりますように」 とか、好き勝手な願いが書いてあった。

湯殿

井戸からポンプでくみ上げた水は、樋を渡って風呂に流れ込む。 昔の人は、風呂に入るのも一苦労だな。 それでも、その更に昔の釣瓶から考えれば、格段の進歩なんだけど。 古い家を見ると、 「こんな家で暮らすのも悪くないかな」 と思うんだけど、実際の生活を垣間見ると、そんな気持ちはたちまち萎んでしまう。 蛇口から湯が出てくる生活に慣れた身には、こんな生活は耐えられそうにないよ。 もう戻れない。

歪んだ鳥居

太い木が手に入らなかったからなのか、曲がった木がそのまま使われている鳥居。 かつての赤の名残が、血の染みを思わせる。

河童

河童淵という小川の傍にある祠の中。 いろんな河童が置いてある。 本尊(?)は、デフォルメし過ぎで、言われなければ河童とは気づかないだろう。 手前左の紅白は、なんともびっくり乳首の縫いぐるみ。 乳首だよ、乳首。 巨乳さんは嫌いではないが、巨乳首さんはちょっと…

狛河童

もう何でも河童。 無理矢理河童。 狛犬の、頭削って、狛河童。 (五七五)

雛人形

格子窓の中を覗くと、地蔵、中国風の雛人形、そしてすっかり髪の抜け落ちた人形。 ちょっと怖い。

今日を振り返って

もともとそんな所ばかりを選んで回っていることもあるのだが、盛岡以外はどこも見事なぐらいに田舎だった。

駅は自動改札じゃないのが当たり前。 そもそも改札っぽいものが何もなくて、電車が来るのにあわせて出てくる駅員に切符を手渡しだったりする。 新花巻なんて、新幹線の連絡駅だというのに、在来線側は無人駅。 平泉駅では、電車は1時間に1本。 時刻表がものすごく見やすい。

駅を少し離れると、辺りはもう田圃ばかり。 刈り取りの終わった田圃で、刈り取った稲を干すのに、立てた棒にそって積み上げてあるのが珍しい。 横に渡した棒にかけて並べるものだと思っていたが、こんなやり方もあるのか。 地方によっていろいろあるんだな。 と思ったが、横に並べたものもあったし、ぜんぜん違う工程なのかもしれないな。

遠野の伝承園は、一見ただの古い民家。 珍しさよりも懐かしさが先に立つのは、建て替え前の祖父の家を思い出させるものがいろいろあったからだろう。 離れの風呂、土間、古い農具、臼と足で踏む杵、などなど。 夜、一人で離れの風呂に入るのは怖かったなぁ… 正月の餅つき、俺も杵を踏みたかったんだよなぁ… なんて、いろいろね。 そういったアイテムが結構乱雑に置いてあるのは、無理矢理に良く解釈するなら、生活感を持たせて展示しているってことか。

そして御蚕神堂。 橙色の薄明かりに浮かぶ壁一面の布には、その一枚々に、ここを訪れた人の願い事が書かれている。 金、受験、恋愛、子供の病気の回復、下らないものから深刻なものまで。 それら、叶うことの無かった一人一人の小さな望みが、何年にもわたってこの小さな空間に溜まって、澱んで、ヘドロのようになっているのだ。 たぶん。

案内してくれたお嬢さんが、俺の脇腹をつついて、ポヨポヨしてると笑ってた。