2003 10 24

他人の定年

土砂降りの中を濡れて帰って以来、どうにも調子が悪い。 遠くの空は晴れていたから、たぶん局所的な土砂降りだったんだろう。 それが余計に負けた気分を味あわせてくれる。 何に負けたのか、自分でもよく判らないけど、俺は何かに負けたのだ。 で、頭の上にあった真っ黒な雲を思い出して考える。 カミナリ様と聞いて高木ブーを思い出すのは、果たして幸せなんだろうか。

国会議員の定年を、受け入れないと突っぱねている中曽根君。 「比例区で終身1位」 という約束があってのことなんだろうが、そもそも終身1位なんて約束が無茶だよな。 ま、そんな自民党内の話はでどうでもよくて、ちょっと面白かったのは、彼の引退の是非を語る人々。

テレビの街角インタビューに応えて、若い人はたいてい 「さっさと引退すればいい」 というような回答をする。 これは、元々無関心なところに、年をとった自分を想像できないこともあって、なんとなく正しそうなことを言っているだけだろう。 中には、会社の上司なんかを思い浮かべて、さっさと引退してほしいと思う人もいるかもしれない。 いずれにしても引退。 その回答に男女の差は無い。

これが年寄りだと、くっきりと男女で違う。 爺さんの多くが、 「まだまだやれるのだから」 と引退を否定するのに対して、婆さんの殆どは、 「もう十分やったんだから、若い人に譲ったらどうですか」 なんて言っている。 これ、彼ら彼女らが老いてどう過ごしているかの違いだな。 定年前の爺さんは不安で一杯で、定年を迎えた爺さんはただただ退屈な毎日で、だから、自分たちの世代の代表としての中曽根君に頑張ってほしいのだ。 年に負けず頑張る中曽根君を、自分に重ね合わせたりするのだ。 対して婆さんは、もちろん健康なうちの話だが、旅行に行ったり何だりで老後を結構楽しんでいるのだろう。 だから中曽根君にも、無理して頑張らないでもっと楽しんだら、なんて言えるのだ。 と思ったが、若い人と同じく、大して興味が無いから何となく良さそうなことを言っているだけってこともあるか。 実際どうなのかな。