2004 01 03

馬鹿力

年末から昨日まで、久しぶりに家族揃って過ごした。 そのわずか数日ですら、しかも家族を相手にしてさえ、人と一緒にすごす息苦しさを感じてしまう。 もちろん何かと楽だし、一家団欒の安らぎもあるのだが、その一方、些細なことで息苦しさをね。

世の中には、一人暮らしの寂しさに耐えられない人もいるらしい。 振り返ってみると、一人暮らしを始めた頃の俺は、ただただ開放感ばかりを感じていたような気がする。 そして今では、それがすっかり当たり前。 これ、何かもう取り返しの付かない変化って気もするな。 寂しさを感じないことに対する寂しさと言うか。 ま、どうでもいいことなんだけど。

で、何の因果か、今日は仕事。

駅で電車を待っているとき、隣に座っていた30代半ばといった男がプレイボーイを広げていた。 その男。 巻頭のグラビアを一通り見ると、一気にページを飛ばしてキン肉マンへ。 なんともまあ、判り易い雑誌の判り易い読み方(?)であることよ。

キン肉マンと言えば、火事場の馬鹿力。 で、ふと気になったのが 「馬鹿力」 の読み方。 漢字熟語の読み方ってのは、基本的には、音なら音が、訓なら訓が続く。 とすれば、馬鹿力は 「ばかぢから」 ではなく 「ばかりょく」 だろう。 ばかりょく。 しかしこう読むと、何年か前に言われていた老人力のように、馬鹿だからこそ発揮できるある種の力をさすようにも聞こえるな。 「どうでもいいことで悲観的になったり自虐的になったりしない力」 とか、 「周囲の目をまるで気にすることなく、やりたいようにやる力」 とか、 「責任転嫁に躊躇無く、逃げ道が無ければ開き直って恥じない力」 とか、とにかく(自分だけは)気楽に楽しく生きていくための力。 ちょっと欲しくもある。 と、まるで自分だけはそうではないように思っているところで、既に俺も持っているかもしれないのか。 いや、そもそも 「馬鹿」 は仏教由来の言葉に漢字を当てただけだし、音読みか訓読みかなんて今更どうでもいいか。 でも 「ばかりょく」 はちょっと良い感じだな。

今日も良い天気だった。