2004 11 19

誰に詫びているのか

昨日今日と広島出張。 朝に移動して、さっさと作業を終わらせて帰ってくるつもりだったのだが、諸般の事情で昨日はほぼ何も出来なかった。 で、予備に当てていた今日に作業をすることになったのだが、それはそれで、まあ、よかったかな。 久しぶりに親の家でゆっくりできたし。 どんどん変わっていく街並にちょっと寂しさを感じたり、そんなことで寂しさを感じる自分が面白かったり、微妙に揺れる男心。

行きの電車の暇潰しに、久しぶりに AERA を買った。 中身はまぁ相変わらずで、暇潰し以上でも以下でもないのだが、今週のは 「お詫び」 が面白かったな。

10月4日号の 「鉄学の道」 の記事で、 「鮮鉄(朝鮮総督府鉄道局)」 とあるのは 「朝鮮総督府鉄道局」 が、 「ソウル(当時は京城)」 は 「ソウル(当時は日本が植民地支配し、『京城』と呼んだ)」 が適切でした。 朝日新聞社の基準等に照らして改めます。 取材に協力してくださった小牟田哲彦さん、および関係者の方々におわびいたします。

何だか知らんが、凄いな、朝日新聞社の基準って。 朝鮮や中国を記事にするときは大変だ。 ま、彼らの基準はそんなもんだろうが、気になるのは小牟田哲彦君のこと。 彼は、記事がこのようにお詫びされることを、どう思うのだろうか。 そもそもこの記事がどういったものだったかを知らないので、余計に気になるのだ。 彼が当時の人であるとして、 「鮮鉄」 や 「京城」 が彼の発言であったとしたら。 それが悪意でも蔑視でもない、当時の常識として口にしていたものであったとしたら。

お詫びする方の思いを想像するに、 「こら、先生に向かって『うん』じゃないでしょ! ちゃんと『はい』って返事しなさい!」 なんて言う母親の気分なんだろうか。