2004 12 15

ほの暗い本の隙間から

昨日も今日も風邪で休み。

枕元に単行本や新書を30冊ぐらい積んでいる。 半分に分けた2つの平積みの山。 ズキズキ痛む頭をそっちに向けてぼんやり見ていると、その2つの山がじんわりと動き出す。 山の隙間から何かが這い出ようとしているかのように、山の真ん中辺りの隙間がゆっくりと広がるのだ。 じわっと広がっては元に戻り、しかし戻り切らないうちにまたじわっと広がり、そんな繰り返しで少しずつ少しずつ。 おや? っと思ってちゃんと見ると、隙間はすっと元に戻って、何もなかったようになっている。 で、またぼんやりしてると、またじんわりと広がりだす。

裸眼立体視の要領で線路の砂利なんかをぼんやり眺めていると、地面がゆっくりと波打っているように見えてくる。 本の隙間も同じことなのだが、脳の情報処理がどうとか考えても面白くないので、何かが這い出てこようとしているのだと想像するのだ。 俺に見つからないように、俺の意識に認識されないように、本の隙間の空間を息遣いに合わせて少しずつ少しずつ押し広げて、何かが這い出ようとしているのだ。 なんて。

そんなことをぼんやり想像していて、ふと思い出したのが朝日新聞の広告。 確か天声人語が 「入試によく使われる」 のだと、電車の中の広告にあった。 だから受験生は朝日新聞を購読しろと言うのだな。 詰め込み教育とか学歴優先とかの受験を煽る諸々に反対を唱えてきた天声人語を、受験に役立つからと売り込む。 なかなか見事な節操の無さなのだが、それよりも気になるのは、いったいいつの天声人語が試験問題に使われたのかってことだ。 最近の天声人語から出題されているのか? もう随分昔の、今はもうとっくに(執筆担当を)辞めてしまった人が書いていた時代のものばかりが使われているんじゃないのか? その辺をはっきり示して欲しいもんだな。 昔のしか使われないんだったら、少なくとも受験のためには、今から新聞を取る意味は無いからね。 って、俺が受験するわけじゃないからどうでもいいんだけど。

寝転がってキーボード打つのは、やっぱりちょっと無理があるな。