2005 04 05

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死んだ。 インフルエンザをきっかけに体調を崩して入院、そのまま悪化して手術するも回復せず、一昨日だったかに死亡。 死の直前まで意識があり、最後の言葉は 「アーメン」 だったとのこと。

最後の言葉が 「アーメン」 ってのは、嘘っぽいよな。 まるっきりの嘘じゃないとして好意的に解釈するなら、死ぬ間際にもごもご口を動かしたのを、勝手に 「アーメン」 って言ったことにしたとか?

なんて思いながらニュースを見ていたのだが、そんな自分をちょっと反省した。 美化のための小さな嘘をわざわざ嘘だと論うようだから、俺はもてないのだな。 いや、嘘だと決め付けているが、本当に言ったのかもしれない。 まあ、どっちでもいいのだが。

ところで 「アーメン」 だが、元はヘブライ語。 俺の記憶が正しければ、 「そりゃそうだ」 「ごもっとも」 程度の意味。 これが神様を全面肯定する言葉になるのは、別れの挨拶が 「さようなら」 になるよりも遥かに判りやすいな。 で、ちょっと気になったのは発音と意味の関係。 本来の綴りがどうなのかは知らないが、仮に AMEN だとしよう。 これ、ドイツ語の人は 「アーメン」 と読むが、英語の人なら 「エイメン」 だろう。 そんなこんなで、いろんな言語の人々に広がっていくうちに元々のヘブライ語とはけっこう違う発音になっていくと思うのだが、そうなっても、つまりはヘブライ語の人にとって意味不明の言葉になってしまっても、それはやっぱり神を肯定する言葉なんだろうか。 適当に翻訳して、日本語なら日本語で言った方がいいような気がするのだが、そうすると有難味が減るのかな。 法王なら、 「発音は違っても、そこに込められた想いは同じ。 神様にはきっと通じます」 なんて言うんだろうが。

あれ? 先日の叔父の葬式でも、 「南無」 について同じことを考えてたような気がするな。