2005 04 28

説明責任

100人近くが死んでいるらしいJR宝塚線の脱線事故。 関連するニュースが繰り返し報道される中で、被害者家族の元に説明に向かうJR西日本の職員(役員?)に向かってコメントを求める現場記者の台詞がちょっと気になった。 JR西日本の職員が 「先に遺族に話をします。 出てきてからコメントします」 と言うのに対して、 「いつ出てくるんですか?」 と、さらに 「何とか言ってくださいよ! 説明責任があるでしょう、説明責任が!」 と言っていたのが。

例えば放射能漏れのような、進行中かつ被害が拡大する可能性がある事故なら、何を置いても周知する必要がある。 被害者への説明を後回しにしてでも、マスメディアに情報を載せるべきだろう。 だが今回の事故では、世間への周知と被害の拡大とは関係ない。 説明する相手の順位として、第1は被害者家族であり、マスコミは精々その次だ。

もちろん、記者だってそんなことは判っているだろう。 それでも説明責任を口にするのは、そう言った方が正義の味方っぽくて、コメントを求めるにも強く出られるからだ。 更に言えば、コメントが取れないことも想定済で、あれは 「こいつらは説明責任も果たさないんですよ」 と、判り易い悪役イメージを作るための演出でもあるのだ。

ま、それはそれとして、何が気になったかって言うと、被害者家族への説明の場に記者が入れないらしいこと。 入れるなら、 「いつ出てくるんですか?」 なんて訊く必要はないからね。 入れるなら絶対に入るだろうから。 ではなぜ入れないのか。 もしもJR側がその場の取材を拒否したのなら、それも反省のない隠蔽体質だと大々的に報じるだろうが、そんな報道は無い。 だから俺は、あの場にカメラが入れないのは、被害者家族から拒否されたからだと想像するのだ。 被害者側からも拒否されるような無神経で傲慢な振る舞いが、事故現場周辺で繰り返されていたのではないかと思うのだ。

被害者を取材すること。 被害者家族に説明しようとするJR職員の足止めをすること。 こういった行動によって、記者・マスコミ各社には少なくとも被害者家族に対する説明責任が発生していると思うのだが、その点を彼等はどう考えているのだろうか。 彼らにとって、説明責任とは他人に求めるものであって、自らが負うものではないのかな。 ないんだろうな。