2005 09 02

嘘を嘘であると示す義務

朝日新聞の虚偽報道。 やったことそのものについては、正直なところ 「くだらないよなぁ」 程度の感想しかない。 ちょっと調べればすぐ判るような嘘を書いた理由については、興味あるけど。 単に功を焦った。 取材ができなくて、しょうがないからでっち上げた。 きっとこうだろう…こうに違いない…というような思い込み。 記事を読む人に対する、政治的な目的を持った誘導。 等々。

駄目なのは、嘘がばれた後の態度。 新聞社で起こったことだというのに、記者会見をしないってのは、どーよ。 あと、これに対する記事も。 他所の虚偽や不正に対しては、過去の同様な事件を並べ立てるくせに、今回は全くそーゆーの無いし。

更に駄目なのは、嘘だったことを伝える姿勢。 これは朝日新聞に限ったことでは無いのだが、訂正って、すごく扱いが小さいんだよね。 新聞や雑誌なら、間違いが判った次の号で、小さな訂正蘭に書いて終わり。 テレビだと、番組の最後の方でちょっと触れて終わり。 元の記事と訂正記事の伝播力が全く違うのだ。

紙面も時間も限られている中、 「○○は間違いでした。 正しくは××です」 程度のことは簡単に済ませてしまいたいのも判らないでもないが、だったら訂正記事は目立つ色にするとか、アナウンサーのコメントをやめて訂正を繰り返すとか、やり様はいくらでもあるだろう。 朝日新聞なら、ニュースサイトのトップにリンクを用意するってのも。

自主努力じゃなくて数値義務を課すべきか。 「嘘や間違いがあった場合は、それを受け取ったと推定される人数の、7倍の延べ人数に訂正を受け取らせること」 とか。 同数じゃないのは、定期購読・視聴じゃなくて、偶々その時に読んだり見たりした人へのフォローが行き渡るようにするため。 実売部数とか、視聴率とか、元になる数値データはあるんだろうからさ。

ところで、虚偽を指摘したのが田中知事じゃなかったら、こんな問題になっていたんだろうかね。 影響力の小さい一般人だったら、さらっと握りつぶされていたんじゃないかって気がするな。