2006 01 10

当たった老人

代替マシンが来た。 レンタル開始からまだ1年しか経ってないし、同じスペックのものが来るだろうと思っていたのだが、これが大幅パワーアップ。 CPUが PentiuM 2.13GHz で、3割弱の高速化。 メモリは 1GB で倍増。 ディスクは 5400rpm の 80GB で、これも容量倍増。 素晴らしい。

と、喜んでいたら、 「去年も新しいマシンで同じように喜んでいたよね。 でも1年もしないうちに、遅いとか使えないとか重たいとか文句ばっかり」 と、設備委員から突っ込まれてしまった。 しかも、実は代替機は同じスペックだったとのこと。 この高性能の方は、たまたまこのタイミングで新たにもう1台レンタルしたのだが、俺がよく文句を言っていたから、しょうがなく良い方を渡すことにしたんだそうだ。

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せっかく良いのが来たのだからと、ちょっと遅くまで仕事をした、帰りの電車でのこと。 60歳ぐらいの、よく日焼けした小太りの爺さんが、隣の車両からやってきた。 満面の笑顔で、 「今晩はっ! どうもっ!」 などと挨拶しながら。

で、そのまま他の車両に行くのかと思ったら、ドアのところで向きを変えて戻ってくる。 そして今度は、車両内を行ったりきたり。 窓や網棚を指差し、訳の判らないことを呟きながら。

車両内を何往復かした爺さん、空席はたくさんあるのに、ギリギリ一人分あいていたドア横の席の前に立ち、 「ここに座ってもいいですか? この席に本当に座ってもいいですか?」 と、隣に座っていた中堅サラリーマン風に全力で質問。 黙って頷き、ちょっとだけ移動する中堅サラリーマン風。 むっとしているような、びびっているような。

爺さん、一旦座って、すぐに立ち上がって、また座って、無理やり体を捻って肩に腕を回すようにして、隣の中堅サラリーマン風に話しかける。 「ここに真っ白な服を着た女の人がいるんですが、見えますか? 白い服の人が見えますか? ずっと着いて来ている白い女の人が見えますか?」 と。 さらに、持っていたビニール袋から新聞を取り出し、 「これはどうかな? これはちょっと、うん、これはどうかな」 と、自問自答。 新聞の紙面は中堅サラリーマン風に見せるようにしているのに、なぜか自問自答。 その間ずっと、凍りついたように前だけを見つめて、一切反応を返さない中堅サラリーマン風。

爺さん、もうすぐ高幡不動というところで、席を立って、俺の前にきた。 吊り広告を見て、俺をチラッと見て、また吊り広告を見て、またチラッと俺を見て、ってのを何度か繰り返した後、小さく 「うん」 と頷いて俺に背を向けると、今度は向かいのシートに膝立ち。 電車に乗ってはしゃぐ子供の姿勢で、窓に顔と手をべったり張り付けて外を見て、何か呟き始めた。 そして、顔を窓に貼り付けたままで、ずるずると伸び上がって、そのままシートの上に立った。 よく見りゃ靴をはいてない。 すぐ隣に座っていたお局OL風が、ものすごくびびった顔でのけぞっている。

窓をちょっとだけ開けたり閉めたりしていた爺さん、電車が高幡不動のホームに到達したところで窓全開。 窓から身を乗り出し、大きく手を伸ばして、 「お疲れ様っ! ご苦労様っ!」 と、ホームの人たちに(?)挨拶していた。 散々挨拶して、高幡不動で電車を降りて行った。

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俺の前に立ったときに酒の匂いが全然しなかったから、あの爺さんは、酔ってるからそうなのではなく、いつもそうなのだろう。 その手の人なのだな。 事故の後遺症だったり遺伝子の異常だったり、何でそうなってしまうのかの理由はそれぞれだが、一定の割合で存在する、その手の人。

遥か昔、高校の生物の時間だったかな。 何人(何万人だったかな?)に一人の割合で起きる遺伝子の異常による知的障碍について、先生が熱く語っていたのを思い出す。

誰がそうなるかなんて、誰にも判らないんです。 例えて言うなら、大勢をグランドに立たせて、そこに棒切れを投げ込んで、たまたま当たった人。 ひょっとしたら、君らの誰かがそうなっていたかもしれない。 それでも君らは、そうなってしまった人を、ほんの偶然に棒が当たってしまっただけの人を、気持ち悪がったりするんですか。

彼にこんな風に熱く語らせたものがいったい何なのか、当時の俺にはよく判らなかった。 今でもよく判らない。 ひょっとしたら、身内にその手の人がいたのかもしれない。 まあ、正義感に近いものなんだろうとは思うが。

気持ち悪いと感じるのはしょうがない。 そう感じるのは、本能に近いものだと思う。 でも、それを本人やその近しい人の前で露骨に示したりはしない。 大人だから。 傍に来て奇声を上げられても、せいぜい顔をしかめる程度で抑える。 下手に刺激すると何をするか判らないってのもあるから。 だけど、先生には悪いんだけど、あの 「偶然に棒が当たった」 という例えの所為で、 「ああ、この人は当たり所が悪かったんだな」 なんて思ったりする。 電車の窓から身を乗り出しているのを見て、線路脇の鉄柱に当たって頭が吹っ飛ぶことを期待したりする。