2006 09 26

高岡は終わって、今日から次の仕事で分倍河原。 通勤時間が自社に通うのの半分以下で、ここは通うにはいいところなんだよね。 それに、邪魔な電話もかかってこないし、余計な手伝いをさせられることも無いし。

次の仕事とは全然関係ないのだが、富山弁では 「奢ってやる」 を 「だいてやる」 と言うんだそうだ。 高岡で泊まったホテルのロビーにあった方言番付に書いてあった。 ま、そんなところに書かれるのはたいてい死語なのだが。

そうそう、もう一つ、ホテルで思い出したこと。 確か報道ステーションだったと思う。 ホテルのテレビで、北朝鮮での公開処刑のシーンを見た。 新首相安部とかタイのクーデターとかの後にやっていたそのニュースに、なんだか引っかかりを感じたのだが、最初は何に引っかかったのか判らなかった。 隠し撮り風の映像にナレーション。 隠し撮りという行為かと思ったが、今更それも無いだろうと却下。 やがて映像がスタジオに切り替わって、古館君の顔を見たところで気が付いた。

「女性」

あの映像の中で処刑されていた人を、古館を肇としてその場の全員が 「女性」 と言っていた。 犯罪者に対しては 「女」 で、その他一般には 「女性」 と、きっちり使い分けされている中、北朝鮮で公開処刑されるのは 「女性」 だった。 なぜ、 「女」 ではなくて 「女性」 なのか。 細かいことではあるが、きっちり使い分けされている今だからこそ、気になるのだな。

処刑される彼女が、実は冤罪だった。 いや、それは無いか。 冤罪だと判っていれば、最初からそう言うだろう。 罪は罪だが、処刑されるほどでもない様な罪だった。 ああ、これは近い気がするな。 公開処刑を非人道的な行為と捉え、その非人道性を際立たせるために、処刑される犯罪者を、公開処刑という犯罪的な行為の被害者として扱う。 そのための 「女性」 呼ばわり。 そんなところだろうか。