2006 12 02

掌を太陽に

北風と太陽が、どちらが強いか勝負する。 勝負の方法は、たまたま目に付いた旅人のマントを、どちらが脱がすことができるか。 まずは北風。 マントを吹き飛ばそうと、強い風を吹かせる。 しかし、マントを吹き飛ばすはずの強い風は、逆に旅人にしっかりとマントを着込ませることになってしまう。 失敗。 次に太陽。 ぽかぽか穏やかに日差しを注ぐ。 やがてすっかり暖かくなった空気に、旅人はマントを脱ぐ。 成功。

そんな北風と太陽の話に、 「じゃあ次はマントを着せることで競えよ」 なんて言うのは、嫌な子供。 まあ、俺なんだけど。

厳しいと優しい。 直接的と間接的。 この北風と太陽の話が持ち出されるとき、北風と太陽はだいたいこんな感じで対比されて、太陽側が推奨される。 けど、この話に込められた教訓が、本来のそこにあったのかどうかは疑問だな。 太陽が、穏やかじゃなく、例えば真夏の昼間のように強く照りつけても、やはり旅人はマントを脱いだだろう。 穏やかでも良かったのは、力を入れる方向性が良かったからだ。

まあ、それはそれとして。 厳しいと優しいとの対比であるという考え方を受け入れて、脱がせる側ではなく脱がされる側に立って考えると、北風と太陽の違いは、 「脱がされた」 と 「脱いだ」 の違いなのだな。 この違いは大きい。 自然に、自発的に、やらされ感無く、意図した方向の行動を起こさせるというのは、とても大切なことだ。 そしてそれが、そう導きたい側にとって大した労も無く実現できるなら、素晴らしいことだ。

と、ここまでが長い前置き。

このところ、定時に会社に着いたことが無いんだよね。 8時半からのはずが、早くて9時。 もう駄目駄目。

朝、あまりに寒くて目は覚める。 しかし、逆にその寒さで布団から出られない。 目は覚めているのに布団から出られない。 そう、北風では駄目なのだ。 必要なのは太陽。 綺麗なお姉さんに、できればFカップぐらいの胸の谷間で、顔を埋めるように暖めてもらって起こされたい。 そんな風にされたらすぐに起きる。 立ち上がる。 Exceed chargeである。

美乳が無理なら美脚も可。