2008 01 18

被害者の義務

JRの特急車内でトイレに女性を連れ込んで暴行した36歳の男に、懲役18年の判決が下された。

この事件では、周囲の乗客、特に男性に対して、 「何をしていたんだ」 とか 「見て見ぬ振りをするなんて」 という意見をよく目にする。 でも、この事件に居合わせた人が目にした光景は、 「態度の悪い男が、嫌そうにしている女を連れて行っている」 であって、それが犯罪かどうかの判別は難しい状況だったはず。

被害者の女性は気の毒だと思うが、だからと言って、そんな状況下で助けることが義務だとは思わない。 助けなかったことを責めて当然だとは思わない。 もし俺があの場にいたら、被害者から 「助けてほしい」 との明確な意思表示が無い限り、多分何もしない。 何らかの意思表示があれば、車掌を呼ぶぐらいのことはしたと思うが。

こうした犯罪の被害者になってしまうことは、それはもう本当に理不尽で、可哀相なことだと思う。 しかしその一方で、そうした理不尽な犯罪の被害に今まさにあっているとき、犯罪が起きているのだと訴えることは、 被害者の義務 だとも思う。 理不尽な災難に対して義務というのは更に理不尽だと自分でも思うが、それでもやっぱり義務だと思う。 責任ではなくて義務。

今回懲役が確定した犯人の場合は、全部で3件が確認されている。 訴え出ないだけで、もっと前から何件もの犯行があったのかもしれない。 というのも、レイプで捕まる場合、余罪が数十件もあることが多いからだ。

もし最初の事件で犯人が逮捕されていたら、その後の被害は無かったのではないか。 被害にあって大人しくしてしまうとか、被害にあっても訴え出ないとか、そういうことが犯人に成功体験として作用し、その後の犯行を加速したのではないか。 俺はそう思う。 初回で逮捕された男が、刑期を終えて出てきた後で、また繰り返さないとは限らない。 でも、少なくとも、発生頻度は減らせるはずだ。 被害者の数は減らせるはずだ。 俺はそこに、被害者の義務があるのではないかと思うのだ。

こうして捕まって、それが連続犯だったと知ったとき、2番目の被害者は1番目の被害者を、3番目の被害者はその前の二人の被害者を、どのように思うのだろうか。 「あのとき、貴方が訴えていてくれれば」 などと恨みに思ったりすることが全く無いとは言えないのではないか。 ま、そんなことを考えるのは、単に俺がひねくれているからという可能性も高いのだが。

もちろん、悪いのは一方的に犯人の方。 それに、こうした被害の場合を訴え出ることはセカンドレイプとも言える状態を招く可能性が高く、躊躇することを責められるものではないのだが。