2008 04 22

死刑

光市の母子殺害事件で、広島高裁は犯人に死刑判決。

検察側主張(Wikipediaより)

1999年4月14日の午後2時半頃、当時18歳の少年が山口県光市の社宅アパートに強姦目的で押し入った。 排水検査を装って居間に侵入した少年は、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。 頸部を圧迫して窒息死させた。

その後少年は女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。 そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。

少年は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4月18日に逮捕された。

弁護側主張(Wikipediaおよび各種記事より)

女性については、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた。 強姦目的ではない。 屍姦は復活の儀式。 精子を女性の中に入れて復活の儀式ができるという考えがあった。

乳児については、泣き止ますために首に蝶々結びしただけ。 殺すつもりはなかった。 死体を押し入れに入れたのは、ドラえもんが何とかしてくれると思ったから。 押し入れはドラえもんの何でも願いをかなえてくれる四次元ポケットだという考えがあった。

本件は殺人ではなく傷害致死であり、凶悪性は強くない。 死刑には相当しない。

復活の儀式とかドラえもんとかが控訴審で(差戻し審で?)出てきたのは、弁護士の入れ知恵なんだろうか。 でも、死刑を回避するなら、とにかく反省している姿をアピールした方が良かったんじゃないのかな。 「殺してしまった直後は動転していたために自分でもよく判らない行動をしてしまったが、今は大変なことをしてしまったと深く反省している」 なんて言っとけば、永山基準に則って無期になったんじゃないかと思う。

ところで、被害者の側。

刑事裁判は、犯した罪の(国や社会の秩序破壊という観点からの)認定とそれに応じた刑罰を決める。 刑罰は(再発防止を主目的とする)教育であって復讐ではない。 損害賠償は民事裁判で決める。

そんな制度の下で、被害者側は救われるんだろうか。 民事による損害賠償請求は、復讐というにはあまりにも弱いような気がするのだ。 妻子を殺されて、そういった被害経験の無い人が査定した賠償金を得ても、ねえ。 相手が金持ちだった場合は、賠償金の支払いが大して痛くも無いってこともあるだろうし。

ああ、支払う賠償金と加害者の収入を連動させるのはいいかもしれないな。 被害者が受け取る賠償金は、被害に応じた金額。 1200万とか。 しかし加害者に課するのは、収入に応じた金額。 年収の300%とか。 で、加害者に課す額が被害者が受け取る額より多ければ国にプールしておいて、少なければプールから補填するとか。 プールはいつも干上がっているってことになりそうな気がするが、それは国からの補助で補うとか。

金の代わりに体でって選択肢もあると、もっといいかもしれない。 移植可能な臓器(腎臓40万,骨髄10万,角膜200万とか)を、移植待ちの患者に提供させるという選択肢。 移植の結果として障碍者相当になるとしても、障碍者と認定しない。 障碍者に対する各種補助は受けられない。 というような。 こっちの方が、単に金を払うよりも、復讐という気持ちを救うような気がするな。

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今日は風邪で休暇。 頭が痛い。