2008 09 01

必要条件・十分条件

教員採用試験の点数水増しで採用された教職員。 本人が意図・認識してなくても、不正で受かった場合は採用取消という方針に対し、それで採用された教職員以外からも反対があるのだそうだ。 ニュースで見た反対の根拠は、大きく二つ。

何を言ってるのかね。

有力者の口利きで採用になってきたこと自体がそもそも公平性に欠けるのだ。 そうした不公平によって利益を得た人たちの中での公平性を言ってどうするのか。 本来守るべき公平性を、できる範囲から回復する方が先だろう。 こいつらが言ってることって、駐車違反で捕まった奴が 「駐車違反全員を取り締まらない限り、罰金は払わない」 なんて言うのと同じレベルなのだ。

それでも敢えて公平性を言うなら、採用取消反対ではなく、疑わしい年度の職員全員の再試験だろう。 これなら、正規に合格したがその後の研鑽を怠って駄目になっている奴もふるい落とすことが出来る。 いっそもう教員はその資格を定期的に試験で更新するようにしろよ。

試験の点数だけで良い教師になれるかどうかを決めるのか? という批判は正しい。 しかしそれは、点数が足りなくてもいいということではない。 試験の点数は必要条件であって十分条件ではないという意味だ。 教師になるためには、最低限採用試験を合格する程度の能力が要求される。 良い教師になるには、そこから更に上の何かが求められるのだ。 「馬鹿だけど情熱がある」 のではない。 「情熱はあっても馬鹿は馬鹿」 だということを忘れるな。

不正で合格しても、その不正を特定できなければ、教師を続けることが出来る。 これが、教育を受けている子供にどんなメッセージを送ることになるのかを考えろ。