2009 05 30

ハイヒールとスニーカー

北朝鮮。 せっかくミサイルを撃つんだったら、無防備宣言都市なんて抜けたことを言っている近所に撃ち込んで、そいつらの目を覚ましてくれればいいのに。 なんて思っていたのだが、意外なことに立川も無防備宣言なんかが提議されたりしているらしい。 油断できないな。

けどまあ、よくよく考えてみたら、ミサイルが撃ち込まれたところで主張が変わったりなんてしないんだよな。 「無防備宣言をしていない都市がまだたくさんあるから攻撃された」 なんて言うのだ、きっと。

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相変わらず暇で、定時になったら即帰る日々。

そんな帰宅の途、俺の前を歩いていたおっさんが、 コーディングは美学だ と熱く語っていた。 同業者らしい。 細かいことから精神論まで自慢まじりに語っていたが、要するに、 「見た目に美しいコーディングがいいコーディング」 ということらしい。

それって美学なのか? という疑問は置いておくとして。 俺の経験上、奇麗なコードは遅い。 速さを要求される場面ではどうしても泥臭くなる。 そうした泥臭さを見えないところに押し込めて、見た目には奇麗って状態を作り出せなくもないのだが、これはこれでまた別のオーバーヘッドになったりするし。 ハードの性能向上が著しい今日この頃、ちょっと遅いぐらいなら奇麗を優先して性能はハードに期待するってことでもいいのだが、それも何だか負けた気分だし。 いや、そもそも速いことが美しいことで、おっさん的には矛盾は無いのか。

そんなことを、おっさんの後ろを歩きながら考えていた。 で、結局、見た目に美しいコーディングがいいコーディングになるのかなぁ…なんて落ち着きかけていたところに、おっさんが 「お、見た? 今すれ違った子、可愛かったよね?」 と振り向いた。

多分同じ人を見て、俺は 「黒ギャルってまだ生息してたのか」 なんて思ってた。 可愛いとは全く思わず。 つまり、俺とおっさんの趣味はまるで違うのだな。 おっさんの言う 「見た目に美しいコーディング」 ってのが見てみたくなった。 これだけ趣味が違っても、コーディングに対する美醜の感覚は、何を美しいと感じるかは、一致するんだろうか?