2009 07 08

明かりを知らなければ闇に怯えない

保育士の採用試験を受けようとした全盲の女性が、門前払いされたんだとか。

「門前払い」 って書き方がもう採用する/落とす側を非難する方向性だが、そう単純に責められるものでもないだろう。

目が見えないのは本人のせいじゃない。 ハンディキャップを乗り越えようと努力する姿勢は立派だと思う。 でも、それで選んだ道が保育士ってのはどうなんだろう。 誰も止めなかったんだろうか。 或いは、止められたからこその反発で頑張れたのか。 これが保育士じゃなくて警官だったら? 外科医だったら?

このどちらを採用するかと考えると、火事とか地震とか、何かあったときの対応まで含めて考えるなら後者だろう。 そっちの枠を広げるために試験の段階で除外するのは、そんなに悪いこととは思えない。 って、批判されるのは、こうした効率優先の考え方なんだろうけど。

保育士一人当たりの子供の数が少なく、他の保育士に対するサポートが余裕を持ってできるような環境なら、まだ何とかなるかもしれない。 それでも、そのサポートを要求される他の保育士にとっては迷惑以外の何者でもない。 門前払いを非難する人は、採用されたところで強いられる犠牲についてどう考えるんだろうか。

記事の中では、盲人の保育士がいる保育園に子供を預けてもいいと言う母親もいたとあった。 でもそれは、他の保育士がサポートすることを当然と思っているからだ。 そうした 「美談」 に、自分は子供を預けることで参加し、他の保育士にはサポートを当然として強制参加させる。 自覚してるんだろうか。

しかし、せっかく資格を取ったんだからと、いろいろ彼女の活躍の場を考えているうちに、何かあった場合の 「何か」 によっては、全盲という障碍が有利になる可能性があることに気がついた。 例えば地震による停電の時。 目が見えないなら、停電の闇に怯えることもなく、周囲を落ち着かせることが出来るかもしれない。 って、これはこれで酷いって気もするな。

あと、こうした人と小さい頃から接することで盲人に対する偏見が無くなるという人もいるけど、本当かな。 こうした場に出てくるのは特別に良くできた人ばかりだろう。 それが盲人の基準になってしまうのは、逆に偏見になるんじゃないだろうか。 「黒人はリズム感が良い」 みたいな。 こういう偏見は非難されにくいんだけど、それでもやっぱり偏見だよな。

そうそう、確かフランスだったと思うが、子供番組に障碍者(確か腕が無い)が出たら、 「気持ち悪い」 「子供が怯える」 などの抗議が来て、結局降板したんだとか。 抗議内容がフランスらしくていいね。