2010 08 31

皆って誰?

子供の煩さへの耐性が無い人が増えることも、少子高齢化の問題なんだろう。 自分の子供がいれば否応無しに耐性ができるけど、子供がいない人はほぼ無い状態のまま。 ギャップは大きいのだ。 で、子連れの外出が軋轢を産み、そうした軋轢がまたますますギャップを広げる悪循環。

出社する時の地下鉄で、 「子どもがうるさいので降りてくれませんか。 みんなこれから働くんですよ」 と親子連れに意見したOLに遭遇。 泣きそうな顔で子どもを連れて降りたお母さんに勝ち誇った顔をしたOLに嫌悪感。 スーツ姿でパリッと決めたキャリア志向さんなんだなぁ。

Twitter にこんなのが投稿されて、議論になっているのだそうだ。 いや、議論にはならないか。 色んな人が意見を言うだろうが、基本は言いっ放し。 他の意見を聞いて持論を修正する人は、そういないんじゃないかな。

ま、そりゃ俺がそうだってことなんだが。

通勤電車に子供を連れて乗ることには疑問だが、親だってもちろんそこは考えるだろう。 それでも乗ってくるのは、やむを得ない事情があったのか、満員で足の踏み場が無かろうがベビーカーには場所を空けるべきだと思っているのか。

そんな母親の事情はどうでも良くて、俺が嫌なのは 「みんな」 って言葉。 もう断定するが、このOLが文句を言ったとき、周りの皆が煩いと思っているかどうかなんて考えてない。 自分にとって煩いという一点だけだ。 だが、ただ煩いと言うと自分が悪者になる。 責任が自分に全てかかってくる。 その一方、責めるには多数派であることが都合がいい。 判り易い虎の威だ。 「みんな」 てのは、そんな責任回避と打算とから出てきた言葉なのだ。 その根性が嫌だ。 勝手に周囲を共犯者にするなと言いたい。

ま、これは投稿者にも言えることだが。 降りていった母親が泣きそうな顔だったかどうかはともかく、OLの 「勝ち誇った顔」 ってのはあまり客観性の無い心象だろう。 それをわざわざ書くのは、自分の意見を 「みんな」 の意見にしたいからじゃないかって気がするな。