2010 09 04

雲の糸

雲の糸

昼は暑いので夕方に散歩。 夕焼けの中を飛ぶ飛行機が作る雲が、蜘蛛の糸のように見えた。

釈迦は地獄のカンダタに向けて蜘蛛の糸を垂らした。 カンダタが生前に蜘蛛を助けたことがあったからだ。 カンダタは蜘蛛の糸を伝って地獄を抜け出そうとしたが、同じく地獄を抜け出そうと糸を登ってくる他の亡者を追い返そうとした所で、糸が切れて再び地獄に堕ちた。

そんな話を思い出して、更に思う。

カンダタにとって、一瞬希望を持った後の転落は、そのまま何も無かったよりも辛いことだろう。 つまり、生前の小さな善行は、釈迦の気紛れによって悪い報いとなってしまっている訳だ。 釈迦はこれをどう思うのだろうか。 どうせこうなると展開は読めていたと思うのだが、それでも糸を垂らすのは、単に意地悪したかっただけか?

極楽にいる善人を地獄に落として、暫く責め苦を与えたとする。 その後、カンダタにしたと同じように蜘蛛の糸を垂らしたら、その人はどんな行動をとるだろうか。 カンダタと同じように、後から登ってくる人を追い返そうとすると思う。 「私は元々極楽にいたのだ!お前ら罪人とは違うのだ!だからこの糸は自分のものだ!」 とか言って。

極楽の更に上の世界から蜘蛛の糸を垂らしたらどうなるだろう。 現状に満足して、蜘蛛の糸には見向きもしないのか。 新たに欲望を刺激されて、更に上を目指すのか。

極楽になら、蜘蛛を助けた程度の善行なんてありふれてるだろう。 それでも蜘蛛の糸を垂らしてやらないのは、一見満足そうに見える人の内側にある欲望を目にするのが怖いからか。 いや、そもそも極楽に人はいるのだろうか。

そんなことを考えているうちに、雲の糸はフヤけて切れてしまった。 俺ではない、どこかの誰かに向けて垂らされた蜘蛛の糸なら、いくら切れても構わない。 むしろ切れろ。