2010 09 18

意識しないという意識

押尾学に対する裁判が、裁判員制度の下に行われた。 罪状は、保護責任者遺棄致死。

2009年(平成21年)8月2日、借りていたマンションの同室でホステスとMDMAを服用してホステスが死亡した事件が発覚し、MDMA服用の容疑で逮捕された。 これを受けて、妻の矢田と8月7日に離婚。 この事件発表直前には、エイベックスからマネジメント契約を解除されている。 同年10月から始まった東京地裁で、麻薬取締法違反(自己使用)について、11月2日の判決公判で懲役1年6月・執行猶予5年の有罪判決を言い渡された。 その後、ホステスを死なせた保護責任者遺棄致死罪で逮捕、起訴された。 2010年9月から始まった保護責任者遺棄致死罪の裁判員裁判では致死罪は認めなかったが保護責任者遺棄罪を認めて、懲役2年6ヶ月の実刑判決を言い渡された。 押尾は判決を不服として東京高裁に即日控訴した。 10月4日に保釈保証金1000万円を納付し保釈された。

事件の経緯は、今の所こんな感じ。

裁判員制度で初めての被告が有名人のケースだからか、恒例の裁判後のインタビューを目にする機会も多かった。 そんな中から拾ってきた、裁判員達の感想。

ちなみに裁判員は、30~50代の男性4人と女性2人だそうだ。

これらを見てて、無念無想ってのを思い出した。 「無念無想になろうと思うと、その思いでもう無念無想ではない」 っての。

裁判長の伝えたいことは判らなくもないが、 「外は無関係。 自分で判断を」 という言葉が適当なのかには疑問が残る。 これ、無意識に 「外」 とは反対の意見を採るようになったりしないのだろうか。 その人がたまたま 「外」 と同じ意見だった場合、裁判長の言葉を聞いて、それでも元々の自分の意見をそのまま通すだろうか。 相手はプロ、自分は素人、なのに自分の言葉に大きな責任がかかっているという場面で、だ。 まあ、だったらどう言えばいいのかと訊かれると、ちょっと答えようがないのだが。

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また高尾山へ行ってきた。 大して高くもない山だが、それでも登れば涼しい。

野菊

野菊の仲間。 種類が多過ぎて見分けるのが難しいのだが、これはたぶんユウガギク。

一枚だけ未発達にねじれた花弁が気になった。