2011 01 02

微妙な正月

ここ数年、正月は妹と母が家に来ていたのだが、今年は妹の仕事の都合で、俺と父が横浜に来ている。

父は、あまり横浜には来たがらない。 理由は、たぶん母の嫌味だろう。 何か、例えばちょっと喉が渇いたのでジュースを出してくれというようなことを父が母に何か頼むと、 「あれをしてくれ、これをしてくれって、何もしないでゴロゴロしてるのにお腹だけはすくんよね」 なんて言い、それではと何か手伝おうとすると 「お父さんが何かすると後で倍も手間がかかるんだから、手を出さないで」 とくる。 じゃあどうすればいいのか? 誰だってそう思うだろう。 更に嫌味なことに、父に向かって直接言った後、妹と台所で片付けをするときなどに、 「お父さん、あれをしてくれ、これをしてくれって、何もしないでゴロゴロしてるのにお腹だけはすくんよね」 或いは 「お父さんが何かすると後で倍も手間がかかるんだから、手を出さないでほしいよね」 と、父に聞こえるように、妹に向かって話すのだ。

広島に一人で居た頃は、そうした母の嫌味よりも一人で居る寂しさの方がより嫌だったのだろうが、今は天秤にかける寂しさがかなり軽くなっているんだよな。 それに、そんな母も、家に来ている時は大人しいし。 そんな訳でこのところの父は、横浜に行く時は極力日帰りで、妹が長い休みが取れた時は家に呼びたがる。

そうした父の気持ちに母が気付いているのかどうか。 かなり独善的で子供っぽい性格だから、気付いてはいるが、というかこれは攻撃だから、何らかのダメージを与えないと気が済まないのだが、来るのを嫌がる程になっているとは思ってないだろう。 「文句を言われるようなことをしてるから、言いたくもない文句を言わなきゃいけない。 嫌なら文句を言われないようにすればいい」 と、自分を正当化してるんだろうと思う。 試しに、いつものように母が嫌味を言った時に、 「わざわざ厚意で言ってくれてることに、そんな嫌味な言い方をするのはなんで?」 と訊いてみたら、ひどく驚いた顔をしていた。 俺も母の味方で、関係性攻撃に参加してくれているとか思ってるんだろうか。 まさか、自分が嫌味な言い方をしていることに気付いてないってことはないよな。

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東京瓦斯

東京瓦斯の敷地内にある神社。 小さな神社だが、参道(?)にはたくさんの鳥居が立っている。 この鳥居、まさか事故の度に増やしてるってことは無いよな?

鉢植え

妹の家のベランダにある鉢植え。 葉に透ける光がとても奇麗だったのだが、俺の腕では、その感動がまるで伝わらないな。