2011 03 05

そこじゃないだろ

家族でスーパーに買い物に来て行方不明になった女の子が、死体で発見された。 そのニュースの中で、 なぜ、あんな可愛い子が酷い目にあわなければならないのか と表現されていた。

命題を 「可愛い子は、酷い目に遭ってはいけない」 とすると、

酷い目に遭ってはいけないのは、可愛い子。
可愛くない子は、酷い目に遭ってもいい。
対偶
酷い目に遭ってもいいのは、可愛くない子。

命題が真なら対偶も真なのだが、そこまで考えての記事なのか? なんてことを考えるのは、被害者家族に共感する要素が少ない故の、心の余裕だろうか。 これが女の子を持つ親なら、可哀想だという気持ちが先にたって、そんなことなんて思いもしないんだろう。 って、これを心の余裕と表現するのもどうかと思うが。

というか、こうした事件で 「可愛い」 と表現するのも、商売のうちなんだよな。 そうした方が事件に関心が向くだろうから、リップサービスも兼ねて。 親にとっては可愛いだろうが、万人向けに本当に可愛いかどうかなんて、ニュースの中の 「可愛い」 とは何の関係も無いのだ。 ま、この子はきっと本当に可愛かったんだろうけどさ。

さて、実際には、むしろ可愛い子の方が酷い目にあう可能性が高いんだよな。 性的被害に限定すれば、 「あんな可愛い子だからひどい目にあう」 の方が現実に即している。 もちろん、だから被害にあっていいって訳じゃ無いんだけどさ。