2012 07 23

たとえば明日

肺癌で余命数ヶ月と診断された夫に、妻が嘘をつく話。 ナリナリドットコムというところで、 中国メディア新快網などによると として掲載されている記事から。

しかし、林さんは悲しみに暮れながら、ただ夫の死を待ちたくはなかったという。 がん治療には何よりも「気持ちが大切」と聞かされた林さんは、奇跡を信じ、以後の検査結果を改ざんするという大胆な行動に出た。 当時、祝さんは毎月1回定期検査を行っていたが、新しい検査結果が出るたびに、林さんはコピー店を訪れては従業員の助けを借り、数時間かけてデータを改ざん。 少しずつ症状が改善しているかのような検査結果を夫に手渡すことにした。

すると、余命数か月と宣告されて暗い顔をしていた祝さんの表情は徐々に明るくなり、前向きな気持ちが戻って来たそう。 生きる希望がわき、妻と再び人生を歩むことができるという喜びが満ち溢れ、闘病生活は当初よりもかなりラクなものになったそうだ。 また、この“善意のウソ”により、余命数か月とされた祝さんの命のともしびが消える日は、1年近くも先伸ばしとなった。

そして6月はじめ、祝さんは林さんに見守られながら他界。 それから約1か月が過ぎたが、林さんはいまだに「夫と別れた気がしない」と胸の内を明かしている。 毎朝出勤前に祝さんのためのお茶をいれ、祝さんが好きだった音楽をかけてあげることが日課。 2人で生活していたときと同じように、夜テレビを観ていると、すぐ隣に祝さんがいるような気持ちに陥るという。 林さんは毎日自身の微博(中国版ツイッター)で祝さんの思い出を書き記しているが、それは「天国にいる夫が孤独にならないように」との林さんの心遣いだという。

妻に見せられる検査結果は徐々に回復して行っているのに、実際はだんだん調子が悪くなるのだから、余程の馬鹿じゃない限り、いずれは自分が騙されていると気付くだろう。 この夫も気付いて、それでも妻の努力を無駄にしないようにと、気付かないフリで付き合ってやっていたのかもしれない。 騙したつもりが騙されていたパターンだったのかも。

けどなぁ。 他にやりたいことがなくて、強いて挙げるなら妻への感謝というぐらいに枯れているなら、これでも良いのかもしれない。 でも、もしも自分だったら、余命をきちんと告げて欲しい。 それから死ぬまでに、やりたいことは何もできないかもしれないけどさ。

もしも騙されて希望を持たされていたとしたらどうだろう。 それで若干死期が伸びたとしたら。 それでも、俺はやっぱり余命をきちんと告げて欲しいな。 最後に騙されたことに気付いて死よりも納得できると思う。

まあ、そんな風に思うのがもう諦め慣れてるからだとすれば、それはそれでどうかって話なんだけど。

ところで、これ、一般には美談なんだろうけど、数値を改ざんって辺りで妙な違和感が。

実は、癌はもっと早くに見つかっていて、でもそれを奥さんが握り潰していて、そろそろ手遅れの余命数ヶ月となって夫に通告したんじゃないか? 美談として取り上げてもらって、できれば夫にはもう一稼ぎのネタになってもらう魂胆だったんじゃないか? 予想外に長生きしてるのを苛々しながら見てたんじゃないか? 夫が感じてたのは感謝じゃなくて恐怖だったんじゃないか? などなど。

そんなことを色々考えてしまうのは、何に毒されているんだろうか。 中国? まあ、何でもいいか。

さて、余命数ヶ月と告知されたら何をするだろうか。 あんまり浮かんでこないな。 ひたすらダラダラしてそう。 で、そろそろ体も動かなくなって、いよいよ死ぬとなった頃に 「あ!」 と思い出すも、もはや自分では手の打ち様が無く、結果、遺言が 「PCの中身を消して下さい。 絶対に見ないで下さい」 なんてことになりそう。

この記事を読んでいる時、BGMがちょうど陣内大蔵の 「たとえば明日」 だったのが印象的だった。