2012 09 16

反日暴動

尖閣諸島を国が買い取ると決定して以来、中国では反日暴動が続いていて、文字通り対岸で見ているこっちとしては 「中国だよなぁ」 という感想しか出てこない。 暴動の跡に 国立中国人民民度資料館 と看板掛けて引き上げてくればいいのにと思う程度。 しかし、あれはあれで進化しているのかもしれないな。

歴史を振り返ってみれば、過去にはこんな事件があった。

1937年7月29日、千数百人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約380名を襲撃し、260名が惨殺された。

日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)が同盟通信を通じて日本全国に報道されると、日本の対支感情は著しく悪化した。

Wikipedia では 尋常ならざる殺害の状況 について、その一端を記載しているのみだが、具体的にはこんな感じだったとか。

殺さなきゃ殺されるから殺すって訳ではなくて、苦しめて殺すことに楽しみを見出しているとしか思えない狂乱振り。 これが僅か75年前のことだからね。 そこから、まだたぶん2世代。 つまり今の中国は、こんな快楽殺人鬼な爺さん婆さんと、反日教育で育ったその子供や孫で構成される国なのだ。 そう考えると、暴動で店が壊された程度だったというのは、原始人が図書館を作るようになったぐらいの凄い進化なのかもしれない。

まあ、無いか。

実際どうなんだろう。 通州事件の時は、中国人の看護婦から自分の子供だと庇ってもらったために生き残れた人もいるそうだ。 そうした優しさが普通で、軍だから残虐だったのか。 それとも、この看護婦のような人が中国では珍しいのか。 現代でも、トラックが事故を起こしたら運転手は放置で積み荷を略奪するのが常識だったりするし、後者のような気がするな。

元とか清とか、異民族に長く支配されていた歴史も関係するのだろうか。 当時はまだ清の時代だし、下っ端軍人は被支配民族で構成されていたことだろう。 そんな連中のストレスが、こうした形で発散されたとか。 或は、ストレスとか関係無く、他の民族に対して異常に攻撃的になってしまうとか。

他の民族に攻撃的になるってのは、ありそうな気がするな。 むしろこっちが世界の常識で、島国の日本がのんびりし過ぎなのかも。 ヨーロッパやアフリカの人達には、逆に 「何であそこまでされてるのに日本では反中暴動が起きないんだ?」 なんて不思議に思われてたりして。

人はたいてい自分を基準に物事を考えるので、であればヨーロッパやアフリカじゃなくて、当の暴徒の中国人が一番不思議に思ってるかもしれない。 「何で横浜中華街は焼き討ちされないアル?」 とか。 連中のことだから、これを日本人が大人しいからじゃなくて 「本当は尖閣諸島は中国のものだと判っているから騒げないんだ」 みたいに解釈しそうで嫌だな。

ああ、違う違う。 自分で言っておきながら、中国人を日本人基準で量ってしまった。 自分に理が無いと大人しいなんて、そんなの中国人じゃないよな。 理が無くても利が有れば騒ぐのだ。