2012 12 17

どうなんだろう

ダウン症についての産經新聞の記事から。

検査をどう使うか

障害を持つ子供を育てるという決断は、社会や福祉制度の充実の有無に左右される側面が大きい。 小野部長は「親だけで子供の一生の面倒を見ることはできない。完璧な人間はいないし、ましてや障害を持った子供が生まれたら、社会が支えていくのは当然だ」と指摘する。

治療のできない先天異常が分かる出生前検査は、障害者の排除につながるという懸念があり、国内では長い間、倫理的影響を危惧し、積極的な導入が控えられてきた。

一方で、欧米では、出生前検査は希望する妊婦が状況に応じて選択できる国も多い。 技術の進歩で、出生前に分かる病気や障害は増えていくだろう。

国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)の左合治彦周産期センター長は「医療技術として確立されている以上、適応条件を満たした出生前検査を希望する妊婦がいたら断ることができるのか。 検査をどう使っていくか、社会として議論していくことが必要だ」と話している。(油原聡子が担当しました)

障害受け入れる準備期間に

出生前診断をめぐり、ダウン症の当事者や家族は複雑な思いを抱えている。

3人の子供の母、原香織さん(34)=東京都渋谷区=は、長女の未来美(みくみ)ちゃん(8)がダウン症候群だ。 妊娠7カ月でダウン症候群だと分かったが、「障害を受け入れる準備期間になって良かった」と話す。 しかし、未来美ちゃんの弟や妹の出産では出生前診断を受けなかった。

「障害を持って生まれてもこんなにかわいいんだ、と未来美を育てて分かりました。次に生まれてくる子供に何かあったとしても全部受け止めたいと思った」

未来美ちゃんは特に重い合併症もなく、元気に小学校の特別支援学級に通っている。 原さんの夫や両親など家族の協力も得られている。 原さんは「もし、未来美の知的障害や合併症が重かったり、家族関係が今とは違ったものだったら出生前診断を受けていたかもしれない」と漏らす。

一方、日本ダウン症協会は、検査前の事前説明の充実や、検査が一般化しないよう求めた要望書を日本産科婦人科学会に提出。 「障害の有無やその程度と本人および家族の幸・不幸は本質的には関連がない」と訴えている。

ダウン症の子を持った母親の台詞 障害を持って生まれてもこんなにかわいいんだ、と未来美を育てて分かりました。次に生まれてくる子供に何かあったとしても全部受け止めたいと思った が、自分の不幸を自分で納得するための言葉で、聞かされる側は、彼ら彼女らのそう言わざるを得ない心情に思いやりを持ちつつも流されない、そんな姿勢というかリテラシーみたいなのが大事なんだろうと思う。

障害を持った子供が生まれたら、社会が支えていくのは当然だ というのは確かにそうなんだろうけど、それは一方的に支えられるだけの存在が少ないから成り立つ話なんだよな。 社会が引き受けるコストを抑える術があるなら、そっちを推進することも併せて必要だろう。 出生前診断はコスト面ではかなり有効だと思うが、これが問題だと思うなら尚のこと、他人の善意に頼る以外の対策を進める必要があるのではないか。

子供がダウン症だったことを受け入れるための慰めは必要だが、そんなのはカウンセラーに任せて、医者やメディアは 母親の年齢が上がれば、染色体異常の赤ちゃんが生まれる確率は高くなる。だが、もともと生まれてくる赤ちゃんは誰でも先天異常の可能性がある ではなく 「若くても染色体異常の可能性があるが、年齢が上がるとその可能性はずっと大きくなるのだから、出産は若いうちにした方が良い」 と具体的な数字でも挙げて示すべきだろう。

もう随分と前だが、 「世界が100人の村だったら」 みたいなのがあって、世界の半数以上が貧困に喘いでいるとかいっていた。 要は、日本の高福祉は他の国が貧困に固定されているおかげで成り立っていると言っていたわけだが、ここでそれを持ち出すと、空気が読めないとか責められるのだな。