2013 01 22

マトリョーシカ・パンチ

体罰を受けてバスケ部の主将が自殺したがためにようやく少しずつ見えてきた桜宮高校の怪しいところが、この高校に特有のものなのか、他の体育会系特化の学校に共通したものなのかは、ちょっと気になるところだな。 程度の違いで、同じ方向性のことをどこでもやってるんだろうが。

ま、それはそれとして。 体罰、もっと広く育成方法と言ってもいいが、そこに欠けているのは、自分とは違う人がいるという認識なんだよな。

そんな違い。

しかし、こうして並べてみると、なんかもう埋め難い溝があるような気がしてくるな。 体育会系の脳筋には前者が多そうで、しかもそっちの方が、違う世界を認識するのが難しそう。 体罰が伝統になるのもしょうがないって感じ。 馬鹿の連鎖。

ということで、馬鹿がエスカレートしないようなシステムを考えてみた。

各学校にプロレスラーや力士を配備して、教師・コーチ・先輩を監視するのはどうだろう。 で、指導者が体罰をしたら、その理由や是非は問わず、必ず指導者に同じ体罰を与えるのだ。 こうすれば、殴る側も加減を考えるだろう。

体罰者への体罰の根拠というか、一応の建前は

本来無くすべき体罰だが、有効な場合もある。 しかし、体罰が有効な状況になったのは指導者の力不足であり、これを矯正するために指導者に体罰を加えるものとする。

ぐらいかな。 自分への体罰を受け入れてこそ、指導に体罰が必要という言葉も信憑性が増すってことで。

まあ、これはこれで、じゃあどこまで指導者を遡って体罰を与えるかという問題が残るのだけど。 指導者の指導者は生徒に何をされても抵抗しちゃいけないみたいな三竦みをルールにしても、結局は潰し合いになりそうな気がするな。